ラグビー日本代表は、目標としていた「8強」を成し遂げ、「ラグビーW杯2019日本大会」を去った。そんな中、リーチ マイケル主将(FL=フランカー)とともに、代表を牽引(けんいん)したのが、不動の司令塔「背番号10」田村優選手(SO=スタンドオフ)だった。
田村選手は、愛知県生まれ。しかし、高校は国学院栃木へと進んだ。田村選手の父・誠さんと、同校の教師を務める吉岡肇(はじめ)監督が、国学院久我山(東京)のラグビー部同期だったことが、きっかけだった。
床上浸水被害も「何としても行こう、と」
予選プール最終のスコットランド戦(2019年10月13日)は、横浜国際総合競技場で開催されたが、東日本を直撃した台風19号の影響で、各地に甚大な被害を及ぼした。恩師である吉岡監督の自宅も栃木市内だった。吉岡監督は24日、J-CASTニュースの取材に、こう振り返る。
「いや~、大変だったよ。ウチも床上浸水で、カーペットとか家具とか、全部、ダメになっちまった」
今年で58歳を迎えた吉岡監督だが、今も続く復興作業に、
「もう、オレも年だからさぁ~。肩は凝るし、腰は痛いし...。大変だよ。床下の米櫃(びつ)もやられたし、倉庫の中もボロボロになった」
しかし、そんな中でも、田村選手の試合を見るため、栃木から車で横浜に向かったそうだ。
「電車? 走ってないから、女房を乗っけて、車で行ったよ。高速道路なんか、倒木だらけで『障害物競走』みたいだった。よく、キックオフに間に合ったなって。神がかり的だったね」
そんな吉岡監督夫妻のために田村選手が用意した席は「家族シート」だった。1列前には、同じく日本代表でSH(スクラムハーフ)の田中史朗選手家族、周囲にも代表選手の家族が多くいたという。
「舞台が、男を作った」
予選最終戦となった試合、日本代表は「28―21」でスコットランド代表を下し、史上初となる「ベスト8」進出を決めた。そんな翌朝、栃木に戻った吉岡監督の元に、田村選手から電話があった。田村選手は、開口一番、
「『先生、応援ありがとうございました。ご自宅や学校は、大丈夫ですか?』って言うんだよ。あれだけの大舞台に立った翌朝だぜ...。立派になった、大したもんだ...って思った。(W杯という)舞台が、1人の男を作ったってことだよな」
15歳から田村選手を指導し続けてきた吉岡監督にとっては、台風被害を忘れさせる大きなひと言だったようだ。
続けて、
「アイツ(田村選手)の成長を、本当に感じる。学校の授業もそうだけど、ラグビーというスポーツは『子供を大人にする』ってことなんだろう」
ちなみに吉岡監督は、25日から開催される「女子ラグビー」(埼玉・熊谷ラグビー場)へも、高校の女子チームと共に参加する。
「オレも、大変だよ」
と話しながらも、教え子のプレーと成長に大きな勇気をもらったようだった。
(J-CASTニュース編集部 山田大介)