「ラグビーW杯2019日本大会」で、ロシア、アイルランド、サモアを撃破した日本代表は、3連勝で「勝ち点14」とし、プールAの暫定首位に立った。スコットランド戦(2019年10月13日、横浜国際競技場)で引き分け以上なら、悲願の「ベスト8」達成となる。
そんな中で、チームを牽引(けんいん)するのが、不動の司令塔「背番号10」の田村優選手だ。J-CASTニュースでは、その素顔を知る国学院栃木高の吉岡肇(はじめ)監督に話を聞いた。
「オレと親父が同級生でさ...同じラグビー部で」
吉岡監督は、国学院久我山高(東京)、リコー(現トップリーグ)、そして日本体育大(日体大)を経て、現在は国学院栃木高のラグビー部監督を務めている。若き頃、父親を亡くし、家計を助けるために1度は就職した。しかし「自分のラグビーチームを作りたい」という思いで、日体大に入学。今は、国学院栃木高の体育教師として教鞭を執っている。
ところで、田村選手は愛知県出身。なぜ、栃木に来たのか? 吉岡監督は、
「オレと優の親父(田村誠さん)が、高校ラグビー部の同期でね。それで、オレが教員になったから『お前のところで、預かってくれないか?』って、話になったんだよ」
だが、預かるにも、住む部屋がない。吉岡監督は田村選手を預かる前、一念発起し、自宅の脇に「ラグビー学生寮」を作った。そこに、田村選手を預かることになったのだそうだ。
「金? いくらかかったかな(笑)。でも、チームを強くしたいという思いと、日本のラグビー発展のために建てた。2階建てで、部屋は8室。1部屋2人で生活できていたから、毎年、16人を育てることができた」
何とも、男気溢れる熱血先生である。
「まっさらだったから、今がある」
田村選手は中学時代まで、サッカーをやっていた。高校時代に栃木に来た時のことを振り返り、吉岡監督は、
「親父はラガーマンだったけど、優はド素人で、パスなんか、まったくできなかった。でも『まっさら』な分だけ、教えたことを素直に吸収してくれた」
その身体能力の高さで、校内の「スポーツ大会」のサッカーでは、並みいるサッカー部員にも負けなかった。しかし、決勝戦で敗退。田村選手は、悔しさのあまり過呼吸となり、周囲の生徒に運ばれて保健室に連れていかれた。吉岡監督は、
「相当の負けず嫌いだからね、アイツは。それで、生徒に保健室に連れていかれても、涙が止まらなくて。悔しかったんだろうな...。でも、オレが行って『優!、お前、そんなことで花園(全国高校ラグビー)で勝てると思ってんのか?』って言ったら、涙も過呼吸もピタッと収まった」
そんな田村選手、クラスでも人気者で、リーダー的な存在だった。女子生徒からも「黄色い声援」が飛ぶなど、学校のスターだったという。吉岡監督によると「非常に頭がいい子だった」そうだ。しかし、数学の授業で壁際に立たされた際、
「周囲の生徒に目でサインを送って『オレの弁当箱、くれ』って。腹、減ってたんだろうね。そうしたら、生徒が優のカバンから弁当箱を取って、授業中に『パス』回して、優に渡したらしい。それをテレビ台の陰で、こっそり食っていたらしいんだよね」
自由奔放というか、豪放磊落(らいらく)というか...。しかし、この高校時代があったからこそ、田村選手の自在なプレーが生まれているのかもしれない。
「アイツ、チケットを送ってくれてさ...」
田村選手と吉岡監督は、今でも電話やSNS等で、やりとりを行っているという。そんな中、田村選手から吉岡監督に封書が届いたそうだ。
「スコットランド戦のチケットが2枚、届いてね。オレと女房の分...と思って、送ってくれたみたい。嬉しいよ。ただ、ケガだけは気を付けてほしい。選手が倒れた時、他の選手ももちろんだけど、背番号10じゃなかったら『あ、良かった』って、ホッとする」
恩師の思いを胸に、行け、田村優!
(J-CASTニュース 山田大介)