「まっさらだったから、今がある」
田村選手は中学時代まで、サッカーをやっていた。高校時代に栃木に来た時のことを振り返り、吉岡監督は、
「親父はラガーマンだったけど、優はド素人で、パスなんか、まったくできなかった。でも『まっさら』な分だけ、教えたことを素直に吸収してくれた」
その身体能力の高さで、校内の「スポーツ大会」のサッカーでは、並みいるサッカー部員にも負けなかった。しかし、決勝戦で敗退。田村選手は、悔しさのあまり過呼吸となり、周囲の生徒に運ばれて保健室に連れていかれた。吉岡監督は、
「相当の負けず嫌いだからね、アイツは。それで、生徒に保健室に連れていかれても、涙が止まらなくて。悔しかったんだろうな...。でも、オレが行って『優!、お前、そんなことで花園(全国高校ラグビー)で勝てると思ってんのか?』って言ったら、涙も過呼吸もピタッと収まった」
そんな田村選手、クラスでも人気者で、リーダー的な存在だった。女子生徒からも「黄色い声援」が飛ぶなど、学校のスターだったという。吉岡監督によると「非常に頭がいい子だった」そうだ。しかし、数学の授業で壁際に立たされた際、
「周囲の生徒に目でサインを送って『オレの弁当箱、くれ』って。腹、減ってたんだろうね。そうしたら、生徒が優のカバンから弁当箱を取って、授業中に『パス』回して、優に渡したらしい。それをテレビ台の陰で、こっそり食っていたらしいんだよね」
自由奔放というか、豪放磊落(らいらく)というか...。しかし、この高校時代があったからこそ、田村選手の自在なプレーが生まれているのかもしれない。