1928年9月30日は「世界初の抗生物質であるペニシリンが発見された日」。イギリスの医師で、細菌学者アレクサンダー・フレミングが、アオカビの培養液中からブドウ球菌の発育を阻止する物質を見つけ、アオカビの学名"ペニシリウム"にちなみ、「ペニシリン」と命名した。
「医学の歴史史上もっとも重要な発見」との呼び声が高いペニシリン。というのも、当時どんな薬でも治せなかった肺炎や破傷風などの伝染病をすぐさま治療することができ、たくさんの人々の命を救ったからだ。いまでは100種類以上の病気を治療する効果があることもわかっている。
そのペニシリンは、どのような経緯で発見されたのか、酪農学園大学動物薬教育研究センターのウェブサイトを参考にして、説明しよう。
ペニシリン発見は偶然の産物
もともと医師だったフレミングが細菌の研究を志したのは、第一次世界大戦がきっかけだった。軍医として戦地で兵士の治療を担当していたフレミングは、傷口から入った細菌によって苦しみながら死んでいく兵士たちの姿を見て、「どうにか治療薬がつくれないか」と一念発起。そうして戦後、感染症治療のため、薬剤研究に取りかかり始めたという。
必死に細菌研究を続けていた1928年のある日、フレミングは、肺炎や髄膜炎などの感染症の起因菌である黄色ブドウ球菌の培養皿を廃棄しようとした際、カビが混在していることを見つけた。
そして、そのカビのコロニー(カビが増殖して塊を形成しているもの)の周りには、黄色ブドウ球菌が増殖していないことに気づくと、カビが産生する物質には黄色ブドウ球菌を殺菌する作用があることがわかったのだ。
一般に細菌学者にとって目的外の微生物を同時に培養すること(コンタミネーション)は、無菌技術が未熟なことを示すとされている。通常はコンタミネーションを見つけたらすぐに滅菌して廃棄するのが普通なのだという。
予期しないものを偶然発見することを「セレンディピティ」と言うが、まさにペニシリンの発見もこれに該当する事例といえるだろう。
戦時中の日本でも製剤化に成功
ペニシリンを感染症の治療に応用したいと考えたフレミングだったが、残念ながらこの時点では、濃度が薄いなどの理由で断念せざるを得なかった。
それでもペニシリンの発見から約10年後の1940年、フレミングの論文を読んだ生化学者のハワード・フロリーとエルンスト・ボリス・チェーンがペニシリンの精製に成功。
45年には大量生産も可能となり、感染症治療に使用することができるようになった。
これらの業績から、フレミング、フロリー、チェーンがこの年、共同でノーベル生理学賞を受賞している。
しかし、実は日本でも海外に先駆けて、ペニシリン製剤化に成功していた。
それは第二次世界大戦中の44年。東京大学の梅沢浜夫教授がペニシリンを効率的に生産するカビを発見。その後すぐ森永食品(現森永製菓)が製剤の開発に成功しているのだ。
これも優秀な細菌学者と発酵の技術力の高い企業が多い日本の事情が大きく関係していたようだ。2019年9月10日には、重要科学技術史資料(未来技術遺産)として、当時のアンプルなどが登録されている。