変わりゆく「見る側の意識」、変わらないのは...
2つの要因を挙げるのは、お笑い評論家のラリー遠田氏だ。
1つは、「人々の意識の変化」だという。「何を差別と捉えるか、何を問題と捉えるかという人々の意識が変わってきている。保毛尾田保毛男や顔を黒塗りにすることも、2~30年前のバラエティー番組では普通にやっていたこと。そのころに『差別だ』と問題になっていない。やっている側は何も変わっていなくて、見る側の意識が少しずつ変わっている」と捉えていた。
もう1つが、「ネットという拡散手段ができた」こと。「Aマッソだったらイベントでやっていたことを参加者がツイートして、イベントに行ってない人もツイートを見て批判の声を広げていく。時代の変化によってネットという拡散手段ができたので、(発言が)大きく広がりやすくなっているのでは」とみている。
一方、Aマッソのネタに批判をした人々について、「問題だ、という意見を人それぞれで言うのは勝手だが、どこまで当事者意識を持って言っているのか」と疑問視。「例えば、『身近に黒人の友だちがいて、こういうことで普段苦しんでいるので、こういう発言をされると非常に不愉快だ』など当事者意識がある批判だったらわかる。そうではなく、『こういうことを言うのは間違っているだろう』みたいな、表面的なことだけで血祭りにあげるネットの風潮がある」と指摘する。
「もちろん問題ある発言で、本人たちは謝罪や反省をすべきだと思うが、必要以上のことをやられている」
(J-CASTニュース編集部 田中美知生)