2019年9月25日、愛知県の「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」が、中間報告を出した。
この中間報告では、「表現の不自由展・その後」が中止となった責任は、芸術監督である津田大介氏にあったとしている。例えば、報告書91ページには「誤解を招く展示が混乱と被害をもたらした最大の原因は、無理があり、混乱が生じることを予見しながら展示を強行した芸術監督の行為にある」としている。
一方、大村秀章知事らには、ガバナンスの仕組みがなかったとしながら、やむを得なかったという判断だ。
62の検証ポイント、公金に触れたのは1か所のみ
報告書では、表現の自由との関係での記述が多くなされ、検証ポイントは62に上っている。また、「公金、公的施設の使い方としておかしい」という批判が多かったとしている。
それに対して、62の検証ポイントの内わずか1つ、検証ポイント11で「公立美術館では、あるいは公金を使って政治性のある展示は行うべきではないのではないか(公共事業としてふさわしくないのでは)」ととりあげられ、それに対する回答は、
「・アートの専門家がアートの観点から決定した内容であれば、政治的な色彩があったとしても、公立美術館で、あるいは公金を使って行うことは認められる(キュレーションの自律性の尊重)
・これは、国公立大学の講義で、学問的な観点からである限り、政府の批判をすることに全く問題がないことと同じである」
と簡単な回答で済ましている。
筆者は、公金を使わなければ最大限の表現の自由が認められるべきであると考えている。仮に、今回の芸術祭が私費であれば、どんな展示をしても問題ないと思っているほどの、表現の自由信奉者だ。
しかし、今回の検証委員会は、公費を前提として、あれこれ言い訳を述べている。そして、公費を当然とする立場なので、責任を現場の芸術監督にかぶせて、行政では責任がないとしている。
「国民の納得・了解」が背後にあるか否か
公費で問題ないとする論拠として、報告書では国公立大学の講義を持ちだしているが、その背後にある国民の納得・了解という事実を隠しているのは情けない。国公立大学に公費投入が許されているのは、今の制度が変わらないという前提であり、もし国民の納得・了解がなければ、国公立大学も民営化されることもありえるのだ。
すべての公費は議会の承認が必要であり、そのためには国民の納得・了解が必要になってくる。それは、芸術祭への支出においても例外ではない。
こうした公費の大原則について、この中間報告は考慮されておらず、公費支出は当然という立場で書かれているといわざるを得ない。また、この芸術祭については、文化庁は補助金約7800万円全額を交付しない方針であるが、これについて、大村知事は「係争処理委員会で理由を聞く」として、異議を唱えるようだ。愛知県も公金支出は当然としている。
愛知県は、この芸術祭への公金支出について、住民から監査請求があっても拒むだろう。そうなったら、住民訴訟までいくかもしれない。いずれにしても、公金支出は民主主義の基本であるので、国や地方でしっかりと議論する必要がある。
++ 高橋洋一プロフィール
高橋洋一(たかはし よういち) 元内閣参事官、現「政策工房」会長 1955年生まれ。80年に大蔵省に入省、2006年からは内閣参事官も務めた。07年、いわゆる「埋蔵金」を指摘し注目された。08年に退官。10年から嘉悦大学教授。著書に「さらば財務省!」(講談社)、「『バカ』を一撃で倒すニッポンの大正解」(ビジネス社)、「韓国、ウソの代償」(扶桑社)など。