東京電力の福島第1原発の事故をめぐり、旧経営陣3人が業務上過失致死罪で強制起訴された裁判で、東京地裁はいずれも無罪の判決を言い渡した。
翌日朝刊の報道ぶりを見比べると、判決に対し「冷静な判断である」「腑(ふ)に落ちない判決だ」と、社説で評価が真っ二つに分かれた社もあった。
焦点は「津波の予見性」に
判決翌日の2019年9月20日付朝刊をみると、一般主要紙4紙(読売、朝日、毎日、産経)はいずれも1面トップ(東京最終版)で報じた。経済紙の日経新聞(13版)は1面で報じたが、トップ下の3段見出しだった。5紙とも、旧経営陣の3人に無罪判決が出たことと、津波予見性について裁判所が認めなかった点を見出しにとっている。また、朝日は1面で、「無罪でも消せない責任」と題した佐々木英輔・編集委員による「視点」記事も掲載した。
津波予見の問題については、政府の専門機関による地震予測「長期評価」をうけ、東電子会社が「最大15.7メートルの津波」が原発に襲来する可能性があるとの試算を出し、3人はこの情報に接していた。こうしたことから、検察官役の指定弁護士は津波襲来は予見できたと主張していたが、判決では、運転停止措置の義務を課されるほどの予見可能性はなかったと判断した。
「主な争点は巨大津波を予見できたかどうかだった」(産経1面記事)、「裁判のポイントは、3人が津波の発生を予見できたかどうかだった」(読売社説)といった指摘が並ぶほど大きな焦点で、読売は総合3面の「スキャナー」欄で「津波予見 立証に壁」の見出しで特集した。このキーワードを見出しに使った記事では、毎日3面でも「民事『予見可能』認定も」と、民事訴訟では東電の予見可能性を認める判決が出ていることを伝えた。
朝日2面の「時時刻刻」では、津波予見性の前提となる、先に触れた「長期評価」を念頭に「津波の根拠『門前払い』」の見出しを使い、「業務上過失致死傷罪の成否のポイントは(1)巨大津波を具体的に予見できたか(予見可能性)、(2)対策を講じて原発事故を避ける義務があったか(結果回避義務)――の2点だった」と指摘し、やはり予見可能性について、大学院教授の見解も紹介するなどして詳報している。
「刑事責任が認定されなかったにせよ...」
社説(産経は「主張」)の見出しでは、「津波予見性」の文字は見当たらなかった。「東電元幹部無罪 ゼロリスク求めなかった判決」(読売)、「原発事故判決 釈然としない無罪判断」(朝日)、「東電旧経営陣に無罪 信頼の回復へ努力継続を」(毎日)、「東電元首脳に無罪 原発の安全に最善尽くせ」(産経)、「『無罪』で終わらぬ東電の責任」(日経)となっている。
判決への賛否の姿勢を第1段落で端的に言い切ったのは、朝日と産経。朝日は冒頭の1行目で「腑(ふ)に落ちない判決だ」と指摘。産経は段落末尾で「冷静な判断である」と断じた。
毎日は第1段落(1行のみ)で「刑事裁判のハードルの高さを示した判決だった」との認識を示した。第2段落以降は判決内容を解説し、中盤で「しかし、この判決により、事故に対する責任がそもそも東電になかったということにはならない」と指摘。最終段落では「旧経営陣は無罪判決を受けたものの、東電は組織として信頼回復のための努力を続ける必要がある」と結んだ。
読売は、これまでの経緯や判決内容に触れつつ、6段落目で「刑事裁判の基本に沿った司法判断と言えよう」と評した。直前の文では「刑事裁判で、個人の過失を認定するには、具体的な危険性を認識していたことを立証する必要があるが、それが不十分だったということだ」としていた。以降の段落では、「ただ、刑事責任が認定されなかったにせよ、原発事故が引き起こした結果は重大だ」とも指摘。最終段落では「東電や国は、最新の科学的知見や、信頼できる研究データに基づき、事故の可能性を低減させていく努力を怠ってはならない」と注文をつけた。
第2段落で「事故がもたらした結果の重大性を考えれば、だれ一人責任を問われない判決は、市民感覚として腑(ふ)に落ちるものではない」と、先の朝日社説冒頭と類似の表現が出てくるのは日経。しかし、直後の第3段落冒頭で、「だが個人の刑事責任を問う業務上過失致死罪が成立するには漠然とした危惧などでは不十分で、具体的な危機の認識が要件となる」と続け、冒頭の論調のまま展開を続けた朝日社説とは異なる書きぶりとなった。最終段落では今回の判決からは離れ、末尾は「刑罰法令や強制起訴のあり方を見直す時期にきている」と主張した。