「刑事責任が認定されなかったにせよ...」
社説(産経は「主張」)の見出しでは、「津波予見性」の文字は見当たらなかった。「東電元幹部無罪 ゼロリスク求めなかった判決」(読売)、「原発事故判決 釈然としない無罪判断」(朝日)、「東電旧経営陣に無罪 信頼の回復へ努力継続を」(毎日)、「東電元首脳に無罪 原発の安全に最善尽くせ」(産経)、「『無罪』で終わらぬ東電の責任」(日経)となっている。
判決への賛否の姿勢を第1段落で端的に言い切ったのは、朝日と産経。朝日は冒頭の1行目で「腑(ふ)に落ちない判決だ」と指摘。産経は段落末尾で「冷静な判断である」と断じた。
毎日は第1段落(1行のみ)で「刑事裁判のハードルの高さを示した判決だった」との認識を示した。第2段落以降は判決内容を解説し、中盤で「しかし、この判決により、事故に対する責任がそもそも東電になかったということにはならない」と指摘。最終段落では「旧経営陣は無罪判決を受けたものの、東電は組織として信頼回復のための努力を続ける必要がある」と結んだ。
読売は、これまでの経緯や判決内容に触れつつ、6段落目で「刑事裁判の基本に沿った司法判断と言えよう」と評した。直前の文では「刑事裁判で、個人の過失を認定するには、具体的な危険性を認識していたことを立証する必要があるが、それが不十分だったということだ」としていた。以降の段落では、「ただ、刑事責任が認定されなかったにせよ、原発事故が引き起こした結果は重大だ」とも指摘。最終段落では「東電や国は、最新の科学的知見や、信頼できる研究データに基づき、事故の可能性を低減させていく努力を怠ってはならない」と注文をつけた。
第2段落で「事故がもたらした結果の重大性を考えれば、だれ一人責任を問われない判決は、市民感覚として腑(ふ)に落ちるものではない」と、先の朝日社説冒頭と類似の表現が出てくるのは日経。しかし、直後の第3段落冒頭で、「だが個人の刑事責任を問う業務上過失致死罪が成立するには漠然とした危惧などでは不十分で、具体的な危機の認識が要件となる」と続け、冒頭の論調のまま展開を続けた朝日社説とは異なる書きぶりとなった。最終段落では今回の判決からは離れ、末尾は「刑罰法令や強制起訴のあり方を見直す時期にきている」と主張した。