凶悪犯罪は聞いていないが「何らかのトラブルはあったと思います」
とはいえ、暴行、殺人、強盗をしていたといった歴史的事実まで本当にあるのだろうか。
この点について、京都市歴史資料館の学芸員は9月19日、「そのような史料があるとは、聞いたことがありません」とJ-CASTニュースの取材に答えた。
淀藩の絵図については、次のようにみる。
「藩では、通信使をもてなすために下行所という建物を建てて、通信使の団員に鶏や魚、米を支給していました。ほかの史料でも、盗難があったという表現は一言もなく、盗んでいるとは言い切れないと思います。また、絵図は、あくまでも見て楽しむもので、争いを面白く描くのは昔からあることです。当時のにぎわいを書かせており、絵師が直接見たわけでもないでしょう」
一方で、団員が鶏を抱えて走るのを藩士が追いかけているような場面もある。この点については、こう言う。
「言葉が通じなかったのかもしれませんが、自炊するための食材を無断で持ち出した可能性はあります。食材を黙って持っていかれると困るので、藩士が制止したということも聞いています」
高麗美術館(京都市)の学芸員も19日、通信使が「凶悪犯罪」をしていたとする史料があるかについて、「聞いたこともありませんし、今回のことで調べても見当たらなかったですね」と取材に明かした。
通信使が粗暴な行いなどをしていたかについては、こう述べた。
「食事に難癖をつけたりしたという史料は見たことはありませんが、8~10か月をかけて日本と行き来するわけですから、何らかのトラブルはあったと思います。日記には、悪口は書いていませんが、日本を偵察して報告するという目的があり、当時の厳しい状況から冷ややかな目で書いていたのは事実だと思います」
(J-CASTニュース編集部 野口博之)