ロックバンド「一風堂」などの活動で知られるミュージシャンで音楽プロデューサーの土屋昌巳さんが、自身のツイッターに博多ラーメンチェーン「一風堂」創業者で力の源ホールディングス(福岡市中央区)代表取締役社長の河原成美(かわはら・しげみ)さんとのツーショット写真を投稿した。
一風堂のリーダーと社長――まさかの名前のつながりで実現したミーティングだ。
一風堂ファンだった河原社長
「一風堂×IPPU-DO
長い間の夢だった『博多 一風堂』の創業者 河原成美氏とのミーティングが今夜実現しました。
それは九月だった。」
2019年9月13日、土屋さんはこのコメントと共に写真を投稿した。
凛々しい土屋さんと笑顔の河原さん。テーブルを挟んで対面した両者の裏には「すみれ色」と思わしきライティングの水槽が置かれている。
1980年代のロックシーンに大きな足跡を残した土屋さん。そして、85年の創業以来、博多ラーメンのイメージを覆してきた河原さんのミーティング。同名同士とはいえ、この場は決してシャレで実現したものではなさそうだ。
ラーメン店「一風堂」の名前について河原社長は14年4月8日に産経ニュースが配信した「【話の肖像画】『博多一風堂』創業者 河原成美」の中でこう話している。
「店名の由来は、公式には『業界に一陣の風を吹かせたいという思いでつけた』と説明しているんだけれども、好きなバンドの名前にちなんだ、というのが本当のところです(笑)」
この好きなバンドこそが土屋さんが率いたロックバンド「一風堂」だ。
「いつかこの日が来ると思っていました...」
ロックバンド「一風堂」は1979年に結成し、8月にシングル「もっとリアルに」でデビュー。全曲ベルリン録音を敢行した80年発売のアルバム「REAL」など印象的な作品を世に送り出した。82年にはシングル「すみれ September Love」、83年「アフリカン・ナイツ」がヒットするも84年にバンドは解散。その後、土屋さんは音楽プロデューサーとしてGLAYやマルコシアス・バンプを手掛けた。
名前についてのいきさつは土屋さんのファンのみならず、一部の音楽ファンでも知られていた話だったが、まさかの直接対面。こうした経緯を知っていると思われるファンからは、
「うわ!意外や意外でした!しかもそれは9月に...夢が花咲く!素敵な邂逅ですね」
「これはすごいよね」
「いつかこの日が来ると思っていました..」
などのコメントが寄せられた。
創業当時なら「一風堂」といえばバンドだったはずが、今や混同されるまでに認知度向上。84年にバンド解散、翌年から一風堂の名前を背負いラーメン界の風雲児となった河原さんとのミーティングは「あやしい季節」の新しい思い出になったことだろう。
(J-CASTニュース編集部 大山雄也)