横浜市が横浜市庁舎(中区)の再開発計画の概要を発表した。市庁舎の行政棟をホテルに保存活用するもので、三井不動産・星野リゾート等が参加し、2024年に完了する計画である。
2020年に新庁舎が完成して役目を終える予定の現庁舎は1959年建造の、戦後の代表的な公共建築である。古い建築の保存というと大正・昭和初期の建築の保存例が多く、戦後生まれの横浜市庁舎の保存・活用は珍しいのではないだろうか。J-CASTニュースは、近現代の建築の保存例とその意義を取材した。
「建築家大国」戦後日本の文化財
関内駅前に立地する1959年建造の横浜市庁舎は、1930年代から80年代にかけて長く多数の建築を設計した建築家・村野藤吾(1891~1984)の設計による。一見装飾もなく実用一辺倒の印象を与える庁舎だが、建築史上の価値は高いと、建築史家の倉方俊輔・大阪市立大准教授は解説する。
「威厳や格式が強く表現されている戦前の建築に対し、戦後の建築は民主的な時代の空気も反映しつつ、機能性や実用性を優先してデザインされました。特に1950~60年代の建築は70年代以降のものほど画一的なデザインでもなく、建築家の個性・力量が一番反映できだ時代といえます。横浜市庁舎の壁面のレンガ面や上層階に行くにつれ細くなる柱も横浜らしさや建設当時の物資状況を反映したものです。開港100周年を記念して建てられた当時の横浜市の気運もうかがい知れる建物です」
近代に建てられた「レトロ建築」として保存されるのは戦前の建築が多く、それらに比べると、一見地味な戦後の建築は価値を見過ごされがちだった。しかし時代が下ると、その分一般社会からも、懐古趣味の対象となって文化財的価値を持つようになる。近代建築保存の機運も昔に比べれば高まっており、例えば同じ村野藤吾設計の旧千代田生命本社ビルは大規模な改修を経て、目黒区総合庁舎(区役所)として再生している。戦後建築も解体ではなく保存・活用されるケースが増えており、横浜市庁舎もその一例だ。「10年前ならここまで具体的に再生計画が立てられることはなかったでしょう」と倉方准教授はコメントしている。
実は日本は村野藤吾の他にも丹下健三・磯崎新・黒川紀章らが活躍した、世界有数の建築家大国でもあるそうだ。横浜市庁舎が建てられた前後の1950~60年代は現代建築の源流のような建築家や建物が多く世に出た時代でもあり、ただの懐古趣味にとどまらず建築史や産業史の視点からも、現存する戦後建築を残す意義は大きいという。
戦後建築の再生の行方は?
とはいえ、日本は欧米に比べると近代建築の保存率は低く、ほとんどの建物は解体され、建て替えられてきた。横浜市庁舎の存続には、自治体の施策や土地柄という幸運も作用したのではないかとも考えられる。横浜市内の関内・山下エリアは明治以来のレトロ建築も多く残されていて、それらが横浜らしさの象徴として地元に浸透していた。まちづくりにおいて景観を重視する市の施策の中で、市庁舎も横浜らしい建築として価値を認められたといえるだろう。
19年9月4日に発表された再開発計画では、現庁舎敷地にはホテルの他に商業施設・大学・ライブビューイングアリーナも設置される計画で、市民が集まる横浜市街地のコアのような役目も担う。
戦後の建築も観光・商業の資源として稼げるという認識が広がれば、解体せず保存する選択肢がより認められやすくなる。とはいえこの再開発計画をベストとせずに、建築保存の方法を議論していければと倉方准教授は期待を寄せる。横浜市庁舎の保存と再生は、価値ある公共建築をいかに後世に残すかの重要な事例になる可能性があり、再開発後もどう活用されていくかも注目の必要がある。
(J-CASTニュース編集部 大宮高史)