本日、9月1日は「防災の日」。1960年の9月1日、内閣の閣議了解によって制定された。この日付になった理由は、東京消防庁のホームページによると、1923年9月1日に発生した関東大震災にちなんだものだという。
また、暦の上でも9月1日というのは、二百十日(にゃくとおか)にあたる日で、台風が多い時期という言い伝えがあることも関係している。
実際に「防災の日」制定の大きな決め手となったのが、1959年9月26日18時ごろ和歌山県紀伊半島に上陸した「伊勢湾台風」。どのような台風で、どれほどの被害を日本国民にもたらしたのか、内閣府防災情報ページに掲載されている「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」を参考にして、説明しよう。
明治以降の台風災害で、最多の犠牲者
伊勢湾台風は、観測史上最強・最大の室戸台風(1934年)に比べて、半分程度のエネルギーだったにもかかわらず、想像を絶する被害者数を出した。
内閣府の調査レポートを参照すると、伊勢湾台風は、台風災害として明治以降最多の死者・行方不明者数5098人におよんだという。
これほどまでに犠牲者が増えた要因として、高潮の発生と、臨海部低平地の堤防の決壊があげられる。
高潮とは、台風などの低気圧によって起こる高波と海面上昇のことだ。伊勢湾台風のケースでは、当時の過去最高潮位を1m近く上回る3.55mの高潮が発生した。特に防災対策が不十分だった愛知や三重の海抜ゼロメートル地帯を襲い、犠牲者数の83%がこの2県に集中した。
災害対策基本法の制定のきっかけにも
この大被害を受けた2県の現状を鑑みて、国も高潮対策に本腰を入れようと早急に動き始めた。
台風発生から4日後の9月30日には「中部日本災害対策本部」を設置し、堤防の締め切り、湛水地域の排水、応急救助の円滑化、被災者支援、応急仮設・災害復興・災害公営住宅等の建設・補修、資材の緊急輸送などの復旧活動を一元化した。
これらの経験を踏まえた上で、被災から2年後の1961年11月15日、防災の概念と国の責務を明確にした「災害対策基本法」が制定された。
この法律により、伊勢湾台風クラスの台風がやってきても被害を最小限に食い止めるため、行政は防災対策、災害対応を求められるようになり、現在にいたっているのだ。
「ダイヤモンドオンライン」に掲載された東京大学大学院の片田敏孝特任教授のインタビュー記事によれば、近年、日本で起きている台風は凶暴化の一途をたどっているという。昨年9月、西日本を襲った台風24号は、伊勢湾台風を凌ぐ高潮を記録し、大阪湾は大きな被害を受けたことも記憶に新しい。
行政が堤防をつくったり、ハザードマップを作成し、避難場所を指定したりするなど、さまざまな対策を行なっていても、いざというときは、個人の危機意識の問題も重要になってくる。
この「防災の日」にあらためて、災害への備えを少し考えてみてはいかがだろうか。