電話がひっきりなしにかかってきた
チーム代表の久米さんが提言に込めた思いとは、何だろうか。
久米さんは、徳島県出身。子どものころから貧困分野に関心があった。大学受験で上京した2000年代初頭、初めてホームレスを間近で見た。
「徳島では見たことがなかった。概念的には理解していましたが、高校生ながら衝撃を受けました。サラリーマンとして働いていた方がリストラなどをされてつらい状況にあると思った」
つらい苦しみを持つ人たちが世の中にたくさんいるのではと思い、政策をやろうと考えた。選択肢には、経済産業省か厚労省があった。
「(経産省で)新しい雇用や産業を作って、人々が雇用されていく社会をつくるのか。それとも、厚労省に入って寄り添った行政をするのか迷った。最後に決め手になったのは、どちらの視点を向いているかですね。経産省は経済の観点、厚労省は国民1人1人の目線に向き合っているところで、厚労省に決めた」
2006年に入省。最初は、保険局医療課にいた。厚労省は「ものすごく忙しい役所」だと聞いていた通り、とにかく大変で「電話などがひっきりなしに国民の皆さまからかかってきた」と振り返る。
「『あの病院のせいでお母さんが死んだ』や逆に、『この制度のこういうところはどうなっているんだ』とか。細かい照会というんですかね、照会事項がいっぱいあって、とにかくそれで疲弊したのはありましたが、一方で若手にいろんなことをやらせてもらえるような職場です。(上司は)みんな忙しく、上ができる仕事は限られていて、下の方で判断したりできるような仕事が結構あった。それはそれで結構おもしろいなとか思っていました」
久米さんの周りでは、厚労省を辞めた人も数人いる。
「体力がある、へこたれないような人間はこの組織でもやっていけるかもしれない。だけど、『自分のお母さんが病気して看病しなきゃいけない』とか、『子どもを世話しなきゃいけない』とか、『自分に持病が実はあるんだけど、オープンにできていない』みたいな人もいて、(昔は)今よりももっと言いづらかったと思う。そういう人たちがいたら、とてもこの環境では働くことはできないだろうな、と今になって思います」