甲子園の「校歌斉唱」、発案は日本人女性初のメダリスト 五輪との意外な関係とは...

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   甲子園で校歌を歌う。全国の高校球児の憧れでもある。甲子園で校歌を歌う、それはつまり甲子園で勝利することだ。

   1999年の選抜大会以降、2回の表と裏に両チームの校歌が場内放送で流されるようになったものの、試合後の校歌斉唱は勝者のみに与えられたもの。勝者の「特権」であった校歌斉唱はいつから、どのような目的で始まったのだろうか。J-CASTニュース編集部が調べてみた。

  • 高校野球の聖地・甲子園球場
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90年前の春が最初で、夏は遅れること32年後に採用

   初めて甲子園で校歌が鳴り響いたのは、今から90年前のこと。1929年、第6回選抜中等学校野球大会で初めて採用された。試合に勝利した学校の校歌斉唱を発案したのが、日本人女性初の五輪メダリストである人見絹枝さん(故人)である。陸上選手であり毎日新聞社の社員でもあった人見さんが、自身の体験を通じて校歌斉唱を提案したという。

   人見さんは、1928年アムステルダム五輪に出場し、陸上の女子800mメートルで銀メダルを獲得した。表彰式では金メダルを獲得した選手の国歌が流れ、選手は国歌斉唱した。おそらく人見さんは、スポーツの大会で初めてこのような行為を目にしたのだろう。選手と国に敬意と称賛を送る姿勢に感動したことから、自社主催の選抜大会で同様のものが出来ないかと提案したといわれている。

   選抜大会から遅れること28年。夏の甲子園で知られる高校野球選手権では、1957年に初めて校歌斉唱が採用された。同年8月13日付け朝日新聞夕刊(東京版)では、大会2日日(初日は雨天のため順延)の1試合目で勝利した坂出商(北四国)に関する記事において「スタンド総起立のうちに校歌が演奏された。これは本大会から初めて行われたもの」とある。

プラカードや校旗掲揚も

   人見さんが高校野球に取り入れたのは校歌斉唱だけではない。開会式の際に校名が入ったプラカードで先導することや、校旗の掲揚を採用したとされる。国名が入ったプラカードでの先導、国旗掲揚は、いずれも五輪では恒例化されたお馴染みのもので、人見さんは五輪の開会式や表彰式にヒントを得て、高校野球に自身のアイデアを取り入れた。

   第6回選抜中等学校野球大会は、出場16校と、当然ながら現在の大会よりも規模が小さく、中等学校野球の頂点を決めるひとつの大会に過ぎなかった。その大会に国際的な視野を持った人見さんならではの新たな「感覚」が用いられた。おそらく当時はかなり斬新なものだっただろう。1929年3月31日付けの東京日日新聞夕刊(東京版)では、開会式の模様が写真入りで報じられている。

   一昔前のように、甲子園に出場しても校歌を聞くことなく甲子園を去るということはなくなった。高校球児にとって甲子園で演奏される校歌は人生の思い出になるだろうし、勝利しての校歌斉唱は格別だろう。炎天下の中、今年もまた地方を勝ち抜いた球児が深紅の大優勝旗を目指して熱戦を繰り広げている。最後に校歌を歌うのはどの高校か。高校野球ファンの楽しみは、しばらく続く。

(J-CASTニュース編集部 木村直樹)

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