8月16日は「女子大生の日」 日本第1号・黒田チカの足跡とは

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現代にも影響を及ぼすその足跡

   その後、女高師の助教授を7年間つとめていた黒田さんは、ようやく女子にも門戸が開かれた東北帝国大学理科大学化学科を受験し、合格。

   1913(大正2)年、合格当時29歳だった黒田さんは、有機化学が専門である真島利行教授のもとで指導を受け、天然色素の構造について研究を始めた。

   3年後の16年、32歳のとき、東北帝国大学化学科を卒業し、日本女性初の理学士となった。その2年後には、"シニコン"と命名した色素の構造を世界に先駆けて、論文を発表する。

   21年には、イギリス・オックスフォード大学に2年間留学し、帰国後は、恩師の真島教授と一緒に理化学研究所の嘱託を兼ねながら、紅花の色素に関する研究などで業績を上げた。59年には紫綬褒章を受章し、68年に84歳でその生涯を終えた。

   東北大学理学部は1999年に優れた研究成果を挙げた女子大学院生に対する賞として、「黒田チカ賞」が設けた。2019年7月には、出身校である東北大学とお茶の水女子大学が黒田さんの縁にちなんで、包括連携協定を結ぶなど、その足跡は今も影響を及ぼし続けている。

   内閣府がまとめた「男女共同参画白書」(2018年版)によれば、大学(学部)への女性の進学率は49.1%に達し、男性の55.9%と比べても大きな差はない。「女子大生」の存在は、すっかり当たり前のものになった。

   けれども、つい100年前までは女子大生はゼロ。そのような時代に一人の優秀な女性研究者がいたのである。

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