当事者が語る「遺族取材」のリアル 娘を失った父は、どんな思いでカメラの前に立ったか

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   京都アニメーションのスタジオで発生した放火殺人事件など、痛ましい事件へのマスコミ取材をめぐって近年、「遺族取材」をめぐる議論が注目を集めている。

   こうした中、1996年9月、都内で発生した未解決殺人事件で、上智大4年生だった小林順子さん(当時21歳)を失った父、賢二さん(73)は7日、取材を受けた経緯を「最初は本当にいやだった。でも事件が風化されちゃうんじゃないか、そんな危機感からテレビカメラの前で遺族としての苦しみや悲しみなどいろいろ吐露しながらやってきた」と語る。

  • 「事件の風化は一番怖い」と訴える賢二さん(2019年8月7日編集部撮影)
    「事件の風化は一番怖い」と訴える賢二さん(2019年8月7日編集部撮影)
  • 事件の情報提供を呼び掛けるポスター
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  • 「事件の風化は一番怖い」と訴える賢二さん(2019年8月7日編集部撮影)
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「事件現場に行くと、カメラの『砲列』ですよ」

   警視庁によると、事件は96年9月9日15時50分から同日16時40分ごろまでに、葛飾区柴又の小林さん宅で発生。小林さんは何者かに刃物で殺害され、自宅は放火された。事件発生から間もなく23年を迎えるが、犯人はいまだ不明のままだ。

   賢二さんは、殺人事件被害者遺族の会「宙の会」会長も務めているが、今回、「一被害者遺族の意見」としたうえでJ-CASTニュースの取材に語った。

   最初に事件への疑問を、賢二さんは投げかけた。

「(事件)発生当初から一貫して、私や家内も含めて遺族の頭にあるのは、なぜなんだと。なぜ娘が、なぜ我が家が。なぜうちの家族が、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。これのずっと連続なんですね。犯人さえ逮捕されれば一挙に解決するわけですけれども、いま解決がなされてない状況の中で、いまだにずっと引きずっているわけなんですよ」

   事件発生直後、犯行現場となった自宅周辺には、マスコミが押しかけた。

「事件現場に行くと、カメラの『砲列』ですよ。こっちを狙っているような、大砲の大筒のように見える。これがいやでしたね。放火されて焼け跡でしょ。わずかに焼け残った建屋でたまたま階段のところが焼け落ちちゃったもんだから、現場検証などで外からはしごで2階に登っていくんですけども、そんなのも当然撮られるわけですよね。口には出しませんけど、『なに見てんだ、見世物じゃねえよ』という感情はあったと思う。こっちは『見世物』『さらし者』、そういった感じですよ。本当にいやでしたね。こっちは悪いことをしていないのに、(現場検証の時に)報道陣の目をかいくぐって、(家の)裏口からこそこそと出たり入ったりとかやりましたよ」

   発生から数年、マスコミとの接触を警察から止められていた。捜査に支障がでるおそれがあったからだという。初めて接したのは、約3年後。捜査が膠着状態になり、事件の詳細や遺族の心情を伝えようと、週刊誌のライターからの取材に応じた。

   時間がたつにつれ、警察との接触の機会も減っていた。「もちろん警察署の中に特捜本部を置いていますが、本当にやってくれてんのかな。こういう疑問が湧いてくる」。賢二さんは、疑念を募らせていった。

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