1937年にはサイレンに代わって進軍ラッパが
では、いったいどのような目的でサイレンが鳴らされるのか。主催者から得た回答は次の通りだった。
「試合の開始や終了などについて知らせる目的です。サイレンを鳴らすことで球場全体に広く知らせることができると思います」
ここからは記者の推測にすぎないが、通信機器が乏しかった時代において、球場内で働くスタッフや、球場の外で次の試合を待つファンにサイレンで進行具合を知らせていたのではないだろうか。一説によると、甲子園球場の最寄り駅の駅員らに試合の進行具合を知らせる目的もあったといわれている。試合が終われば大勢の観客が駅になだれ込むため、その準備や対応をするためにサイレンを鳴らして知らせていたとの説もある。
甲子園大会の象徴ともいえるサイレンが途切れたことがあったという。1937年に開催された第23回大会でのことだ。この年の7月に起きた盧溝橋事件の影響によるものかは不明だが、同大会では試合開始時、終了時にサイレンに代わって進軍ラッパが鳴らされたという。甲子園大会の悲しい歴史である。
昭和、平成と受け継がれてきた甲子園大会のサイレン。SNSなど通信手段が飛躍的に発達した現代において、サイレンが果たしてきた役目は終わったようにも思えるが、その伝統は絶えることなく令和の時代に脈々と受け継がれている。
(J-CASTニュース編集部 木村直樹)