問題理解には「知識」が必要
――ジェンダー炎上をめぐっては、意見が分かれる場合が少なくありません。朝日新聞が17年7月~8月に実施した調査(有効回答数:661)では、ジェンダー炎上について「ステレオタイプな表現を考え直すきっかけになり、よいことだ」(60.4%)との見方もあれば、「問題となっているのが、女性への差別表現に偏っていて不公平」(9.2%)、「表現の自由が狭められてしまう不安がある」(4.8%)、「一部の人が騒いでいるに過ぎず、さまつな問題だ」(2.9%)、「何が問題なのか理解できないケースが多い」(2.7%)ともあります。
まず、問題とされるのが女性への差別表現に偏っているという意見についてですが、広告での男性と女性の登場割合をあわせて考える必要があるのではないでしょうか。日本では容姿端麗な女性と商品とを並べて消費欲を刺激しようとする広告がとても多く、女性の方が広告に登場しやすいと言えます。となれば、女性への差別表現が多く問題視されるのは当然だと考えられます。
それに、男性への差別表現についても、不快に感じた人はもっと声を上げていけば良いのではないでしょうか。例えば、「ハゲ」「汚い」など外見に対する表現については気になっている人は少なくないはずです。
次に、炎上による広告の取り下げが、表現の自由を狭めてしまうのではないかという意見ですが、これについて私は懐疑的です。不快な表現として、たとえば「スクール水着姿の女性」が挙げられたとしても、そうしたイメージの出てくる広告すべてが女性差別的かといったらそんなことはないですよね。例えば、プールの宣伝に水着姿の女性が表現されてもまったく問題はないと思います。表現の内容は常に文脈によって決定されるのですから、批判する側も単に「これこれの表現が良くないから取り締まろう」という主張をするだけでは、女性に対して差別的な表現の改善にはつながらないと思います。
現時点では広告表現の炎上と企業との間には短絡的で不幸な関係しか生まれていませんが、今後は問題となった表現の、どこが問題であるのか、別の表現方法や別のストーリー構成の可能性はなかったのか、といった点についてきちんと議論をしていく必要があるのではないでしょうか。炎上は、表現の自由を守るということと、女性差別をしない広告を作るということの間に広大な空間を作り上げていくきっかけになると思っています。
また、一部の人が騒いでいるだけの些末な問題だという意見には、問題が些末かどうかは、問題視する人の数の多寡によって決まるものなのか、と問い返したいですね。一部の人だけが問題視しているにすぎないとしても社会全体で問うべき重要な問題はあるし、そこから議論が広がっていくことは大切なことです。
何が問題なのか理解できないという意見については、そのような意見を述べる人たちの知識の欠如と勉強不足を指摘したいです。全員がフェミニストになるべきとまでは言いませんが、ジェンダーをめぐる表現は無色透明の公平なものばかりではないという前提知識の有無によって、見える景色が違ってくるという点は認識していただきたいと考えています。