山田太郎氏、音喜多駿氏も... 数奇な運命たどる「みんなの党」とその出身者たち

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   渡辺喜美・元行革担当相(参院・無所属)が「NHKから国民を守る党」(N国)と、参院の新会派「みんなの党」を組むと発表した。懐かしい名前の「復活」に、ネット上で注目が集まっている。

   渡辺氏といえば、かつては「第三極」の中心にあった、政党としての「みんなの党」の創設者。2014年に解党されたが、永田町に目を向けると、ここ最近「元みんな」の政治家が、相次いで話題になっている。

  • みんなの党が街頭演説する様子(2010年撮影)
    みんなの党が街頭演説する様子(2010年撮影)
  • みんなの党が街頭演説する様子(2010年撮影)

いまも地方議員を抱える「みんなの党」

   渡辺氏は19年7月30日、N国・立花孝志代表(参院議員)と記者会見して、新会派を組むと発表した。ツイッターなどでは「復活だ」と盛り上がっているが、実は「みんなの党」は、すでに渡辺氏が率いる政治団体として復活している。政治団体としての「みんな」では、19年1月に公認候補が、愛知県田原市議会議員に当選。春の統一地方選にも、公認候補を擁立していた。今回の会派結成により、「みんなの党」は、かつて存在した政党(09~14年)と、地方議員を擁する政治団体(現存)と、国会会派(現存)の3つを指すことになる。

   渡辺氏は09年、自民を離党して、みんなの党(政党)を立ち上げ。自公、民主ではない、いわゆる「第三極」として存在感を放ったが、立ち上げメンバーである江田憲司氏らが13年に離党し、「結いの党」を結成。これらは後に、維新の党→民進党へつながる流れとなるが、みんなにとっては求心力低下を招いた。

   その後も渡辺氏は、代表に就いていたが、14年4月に金銭問題で辞任。浅尾慶一郎氏が後任となったものの、総選挙を目前として、その年の11月に解党した。なお渡辺氏は、この総選挙で落選。参院に転じて、おおさか維新の会(→日本維新の会)の比例区で当選したが、小池百合子・東京都知事の「都民ファーストの会」との連携を目指し、17年に無所属となっている。

参院東京で初当選の2人も「元みんな」

   みんな解党後に、さらなる活躍を見せる政治家もいる。今回参院選、約54万票にのぼる、いわゆる「オタク票」で当選したのは、表現規制反対派の山田太郎氏(自民・比例)だ。10年に「みんな」比例から参院選出馬するも落選。12年に繰り上げ当選したが、任期中に解党。日本を元気にする会、おおさか維新の会を経て、16年参院選には新党改革(比例)から出馬したが落選。「表現の自由を守る会」を率いつつ、19年に自民公認で返り咲いた。

   立憲民主党から3選した、川田龍平参院議員(比例)も、みんなの党副幹事長などを歴任した。川田氏は無所属からみんなに入党した後、江田氏らとともに「結いの党」を立ち上げ、維新の党(日本維新の会と合併)、民進党(民主党と合併)を経て、立憲に転じている。

   みんなの元地方議員からも、国会議員が誕生した。東京選挙区で初当選した、塩村文夏氏と音喜多駿氏は、どちらも「みんな」都議会会派の出身だ。塩村氏は解党後、都議会で1人会派を設立したが、民進党・広島3区から次期衆院選への出馬が決まり、17年の都議選には出馬しなかった。しかし、民進と「希望の党」の合流問題にからんで、17年総選挙には無所属で出馬(落選)。国民民主党へ合流したが、立憲へくら替えし、今回当選を果たした。

   音喜多氏は、みんな解党後、「日本を元気にする会」などを経て、「都民ファーストの会」に初期メンバーとして参加。しかし小池氏との対立で離党し、18年には自ら「あたらしい党」を立ち上げ。19年4月の北区長選に挑むも、現職に敗れた。今回の参院選では、あたらしい党代表のまま、日本維新の会から公認を受け、初当選となった。なお音喜多氏は、今回の新会派設立を受けて、「こんな展開で『みんなの党』の名前と再び合間見えることになるとは......」とツイートしている。

(J-CASTニュース編集部 城戸譲)

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