「麻薬の売人以下」は「京アニのことではない」 純丘曜彰・大阪芸大教授、炎上コラムの真意語る

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   アニメ制作会社「京都アニメーション」放火殺人事件を受けて寄せたコラム記事が物議を醸している純丘曜彰(すみおか・てるあき)大阪芸術大学教授が2019年7月26日、J-CASTニュースの取材に応じ、コラムで京アニのことを指したものだとしてインターネット上の批判を集めた「麻薬の売人以下」との表現について、「これは京アニのことではない」と反論した。

   京アニ作品に限らず長年のアニメファンであり、アニメが研究対象でもある純丘氏は、放火事件を「心の底から悲しんでいる」と心境を明かす。ただ、自身が書いた記事については「文章が下手で申し訳なかった。誤解されるだろうと思う」と反省を口にした。真意はどこにあったのか。

  • 「インサイトナウ」に掲載された純丘曜彰教授のコラム記事(削除済み)
    「インサイトナウ」に掲載された純丘曜彰教授のコラム記事(削除済み)
  • 「インサイトナウ」に掲載された純丘曜彰教授のコラム記事(削除済み)

公開と削除を繰り返し...

   純丘氏をめぐっては、南青山インサイト(東京都港区)が運営するウェブメディア「インサイトナウ」へ21日に寄稿したコラムが「炎上」状態にある。「終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌」のタイトルで長さは約3000字。特に問題となったのは最終盤のこの段落だ。

「いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う」(以下、「当該段落」)

   コラム中盤では、京アニの特徴を説明するにあたり、

「京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ」
「京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった」
「そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ」

と、当該段落とも共通するワードを用いている。タイトルも「京アニ放火事件の土壌」。そのため、同段落では京アニの名前こそ明記していないものの、ツイッターでは「多くのクリエーターを殺された京アニを『麻薬の売人以下』とこき下ろした」「京アニを麻薬の売人以下だと侮蔑している」など、「麻薬の売人以下=京アニ」と認識され批判が殺到した。

   コラムは24日に削除、同日中に「京アニ」の言葉を省いた形で大幅に短縮・再構成のうえ再度公開されたが、25日までにこれも削除。同時にサイトトップには謝罪文が掲載されるという慌ただしい展開をたどった。

   純丘氏はなぜこのような論考を書いたのか。J-CASTニュースの取材に「文章が下手で申し訳なかったと思っています。改めて読むと書き方が悪いです。誤解される文章だと思う」と表現の至らなさを認めつつ、強調したのは「『麻薬の売人以下』は京アニのことを言ったものではありません」ということだった。

「そもそもこの比喩の主語に『京アニが』とは書いていません」

   「そもそもこの比喩の主語に『京アニが』とは書いていません」と前置きする純岡氏は、「麻薬の売人以下」なのは、あくまでその前に書かれている「いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどという(人々)」のことであり、ここに京アニは含まれないと説明する。

   では何を念頭に置いているかというと、コラムの最序盤、字数にして2000字以上前の段落に登場する「アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化」しているアニメ制作スタジオのことだという。

「関連グッズを売るためにアニメを作れ、という広告代理店やテレビ局があるわけです。アニメ制作費をペイさせるため、物販を抱き合わせるのが定着してしまっている。アニメの内容にまで介入される。グッズが売れればいいとでも言うように、同じような作品を作り続ける。それは制作側にとって本末転倒であり、アニメ本来の在り方ではありません。おもちゃを売れと、テレビの放送スケジュールを埋めろと、そういう体制の中でいわゆる作画崩壊アニメなどもつくられる。

むしろ京アニはこうした流れに逆らってきた会社です。どうにか自分達でプロデュースし、作品のクオリティで一生懸命勝負し、それが評価されてファンがついてきています。アニメーターの待遇改善にも努めています。学園物でも同じ日々を繰り返すだけではなく、その中で登場人物たちはもがき、前進しようとしていくモチーフを描き続けている。『聲(こえ)の形』はその象徴的作品ですよ。制作側とファンが一体になって作品をつくり、作品と向き合っている」

   当該段落にある「ガキの学園祭の前日のような粗製濫造」という一節も「京アニは粗製濫造していません。アニメ制作にあたって原作は自分たちのテーマに合うものだけを選んで作り込んでいます」と説明。「学園祭の前日」という表現も「制作各社が過労働の中でもただただ楽しげにアニメを作っていることを『学園祭の前日』に例えた」という。

「悲惨な事件があって、一気に色々と思うことが吹き出してしまった」

   コラム中盤では、アニメ界で「学園物」が主流になっていく流れを概説している。その後、学園物に限らずさまざまなジャンルのアニメがヒットするも、学園物を主力とし続けている制作会社として「京都アニメーション」を引き合いに出す。

   ただ、続く節では「なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか」として、京アニだけではなく「アニメ業界」における学園物の位置づけを論じている。純丘氏は取材に「この記事において京アニだけの話は途中(編注:当該段落より前)で終わっています」と話す。

   つまり当該段落は、文中にもあるように「業界全体」の変化を求める内容だという。純丘氏は「京アニの多くの優秀なクリエーターの命が奪われました。丁寧な作品づくりを続ける京アニの志を、アニメ業界全体で共有し、代理店や局に頼らない体制づくりを今こそ考えようよということです。クリエーターが作りたいものを作れるように、制作会社が合従連衡を組むなどして抜本的に経営体制を見直さないといけない」とする。

   だが上記のとおり、「書き方が悪かった」ことは認めている。実は「元々かねて積み上げてきたネタがあって、それを今回の放火事件を受けて編集し、1本の記事にしたのです」と明かし、「だから横道に飛んでいるところもたくさんある。文章の構造が悪いというのはその通りです」と反省を口にする。「悲惨な事件があって、一気に色々と思うことが吹き出してしまった」という。

   コラムの削除までにはどのような判断がなされていたのか。純丘氏によると、インサイトナウでの原稿執筆は、公開前に同サイト側の編集チェックを通さない体制になっているといい、「炎上」を受けて同サイト側は一旦、記事削除に踏み切った。純丘氏には事後報告だったという。

   その後、同サイト運営会社から再度連絡があり、趣旨だけ分かるよう「京アニ」の言葉を使わないようにして再構成。純丘氏も「もともと京アニを含めたアニメ業界全体の問題を書きたかったのです。補足的なエピソードや『麻薬の売人以下』などの比喩があるとそこだけがクローズアップされてしまう。誤解されるくらいなら省きます」ということで、900字程度にして再公開された。だが、それでも炎上がやむことはなく、同サイト側の判断でまたも削除した。純丘氏は「何を書いても無駄だった」と諦めたように取材に語った。

   両親がアニメや映画制作に携わってきたという純丘氏は少年時代から映像作品に親しんできた。京アニ作品もくまなく見ているといい、取材の中でも次から次へと作品名やそこでのテーマ性が語られた。「私は心の底からこの度の放火事件を悲しんでいます。悲しんでいないわけがない。こんな形で命が奪われ、壊されていいのか」と涙声で口にした。そして「間違っても京アニは『麻薬の売人以下』ではありません。京アニはそれと戦ってきた会社です」と繰り返し話していた。

(J-CASTニュース編集部 青木正典)

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