「麻薬の売人以下」は「京アニのことではない」 純丘曜彰・大阪芸大教授、炎上コラムの真意語る

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「そもそもこの比喩の主語に『京アニが』とは書いていません」

   「そもそもこの比喩の主語に『京アニが』とは書いていません」と前置きする純岡氏は、「麻薬の売人以下」なのは、あくまでその前に書かれている「いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどという(人々)」のことであり、ここに京アニは含まれないと説明する。

   では何を念頭に置いているかというと、コラムの最序盤、字数にして2000字以上前の段落に登場する「アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化」しているアニメ制作スタジオのことだという。

「関連グッズを売るためにアニメを作れ、という広告代理店やテレビ局があるわけです。アニメ制作費をペイさせるため、物販を抱き合わせるのが定着してしまっている。アニメの内容にまで介入される。グッズが売れればいいとでも言うように、同じような作品を作り続ける。それは制作側にとって本末転倒であり、アニメ本来の在り方ではありません。おもちゃを売れと、テレビの放送スケジュールを埋めろと、そういう体制の中でいわゆる作画崩壊アニメなどもつくられる。

むしろ京アニはこうした流れに逆らってきた会社です。どうにか自分達でプロデュースし、作品のクオリティで一生懸命勝負し、それが評価されてファンがついてきています。アニメーターの待遇改善にも努めています。学園物でも同じ日々を繰り返すだけではなく、その中で登場人物たちはもがき、前進しようとしていくモチーフを描き続けている。『聲(こえ)の形』はその象徴的作品ですよ。制作側とファンが一体になって作品をつくり、作品と向き合っている」

   当該段落にある「ガキの学園祭の前日のような粗製濫造」という一節も「京アニは粗製濫造していません。アニメ制作にあたって原作は自分たちのテーマに合うものだけを選んで作り込んでいます」と説明。「学園祭の前日」という表現も「制作各社が過労働の中でもただただ楽しげにアニメを作っていることを『学園祭の前日』に例えた」という。

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