ぼくが入管をやめた理由 なぜ、今の法律は「時代と合っていない」のか

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「ぼくは政治をやっているような気がしてならなかった」

   木下さんは、職員が裁量で審査できる状況に疑問を持っていた。

「外国人側は10年前だろうが今だろうが、在留形態は変わってないわけですよ。だけども同じようなものでも10年後は不許可です。政治的裁量だとかこの自由裁量論で片付けられるのかなって思いました。世の中の状況がいろいろ変わっていくのは分かるが、行政府、行政庁の人間、行政官たる職員が政治をやっちゃだめじゃないですか。ぼくは政治をやっているような気がしてならなかった。日本から追放する、あるいは在留を特別に認めるのは、政治的判断というのであれば、やはり高度な次元での判断になるはずだけども、なんかストリート(現場)レベルでの話でそういうようなことが行われているような気がしてならなかったですね」

   入管法の表現にも疑問を抱く。

「法律が限定的に解釈できるような建て付けになっていれば、そんなに悩まないと思うんです。でも、これだけ不確定概念がちりばめられているものであると、いろんな解釈がなりたちうる。個々の解釈でできてしまうところがある。完全にフリーハンドでなんでもできちゃう自由裁量感みたいなようなものを、ちょっと入管では感じましたかね。たとえば、『相当』だとか『適当』という言葉がいっぱい出てくるが、なにをもって『相当』だとか『適当』だという入管全体としての統一的なものはなくて、個々の職員がそれぞれの裁量で、『これが適当』だとか『これが相当』だとかいうようなのを推し量っているような、自由裁量感みたいなようものを、ちょっと入管では感じましたかね。特に最近。10年前の半減計画の時は感じなかった」

   入管行政に対する疑念が募っていった。

   17年、「法的な裏付けやバックボーン」を身に付けようと、大学院に入学。入学した時点で、入管をやめることを想定していなかったが、気持ちに変化が生じる。「研究にのめりこんでいくと、後戻りができなくなったっていうのかな。それまで折り合いをつけてやってきた。おかしいと思っても。でも、学問的裏付けを自分で持ってしまうと自分をごまかせない。見て見ぬふりをしていたが、それがちょっとできなくなった」。19年3月末、木下さんは入管を退職した。

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