「まだ行ったこともない、見たこともない母国とやらに送還していいのか」
公安調査庁と人材交流のあった入管に移った。2001年のころだ。06年、不法滞在者らを対象とした審判部門に配属となった。入管法で定める退去強制事由の該当者に特別な事情があれば認める、在留特別許可に関する業務に携わった。「オーバーステイ(不法滞在)とひとくくりに言えない。ぼくの視野は広くなったような気がします」と木下さんは振り返る。
「いろんなケースを見ていて、ビザがない一家とかを見るわけですよね。お父さん、お母さんも、日本で生まれた子どももビザがない。そういう人が強制送還されていく、退去強制命令を受ける、というようなのを目の当たりにした。一家でみんな帰されることがあって、ちょっといろいろ考えるところがありました。初めてそこで、今までの見方が変わったような気がします」
「お父さんやお母さんたちはいい大人だから、ビザが無くて日本に来ることがどういう結果を招くのかはわかっている。大人はちゃんとした責任があると思うが、やはり子どもをどう扱うか。子どもに関してはまったく何の責任もないわけです。当時、小学校以下の子はなかなか在留が認められなかった。当時、ぼくの次男が小学校に入っていて同じくらいだった。自分の子どもオーバーラップさせていた。子どもを、まだ行ったこともない、見たこともない母国とやらに送還していいのかと疑問を感じた」
他方、06年のころ、法務省側は「不法滞在者5年半減計画」に取り組んでいた。計画は、04年から08年までの間続いた。
「それを達成するための一番効果的な方法が、非正規在留者に在留特別許可を与えて正規在留者にすること。それは当時の入管の利益、半減する計画とマッチングしていた。ですので、無理筋の不許可とかそういうようなのはあまりなかったと思いますね。ある子はいい、ある子はだめ、みたいなのはあまりなかったような気もする。子どもに関しては、へんな意味で平等だったっていうのかな。いろいろ強烈な違和感みたいなのを覚えていた反面、行政全体としてはそれなりの公平性を保っていたのはぼくの印象です」
他の部門への異動を経て16年、再び審判部門に戻ったが、厳格な審査に舵を切り、雰囲気は厳しくなっていた。「在留特別許可の件数は圧倒的に少なくなっているんですよ。1つの案件に非常に時間をかけるようになってきたので、以前は普通に許可になっているようなものに関しても、なかなか許可にならなかった。この半減計画が終わった事実は大きいことだなと、半減計画の中にいて審査をやっていた人間としては思いましたね」。