ぼくが入管をやめた理由 なぜ、今の法律は「時代と合っていない」のか

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   2019年3月末、東京入国管理局(現:東京出入国在留管理局、以下入管)を退職した木下洋一さん(54)は、出入国管理及び難民認定法(入管法)について「当事者や関係者に優しくない入管法は時代と合っていない」と訴えている。

   自ら立ち上げた「入管問題救援センター」の代表として今後、「体験したことなどをシェアしていきたい」と話す。J-CASTニュースは、木下さんに話を聞いた。

  • 「入管法は時代と合っていない」と話す木下さん
    「入管法は時代と合っていない」と話す木下さん
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公安調査庁での違和感

   バブル世代に学生時代を過ごした。

「特に志もなく大学に通い、ほとんど行かずにアルバイト三昧。政治的な関心もまったくなく、ノンポリでずっと過ごしてきました。学校なんてほとんど行かなかったので留年をして、4年生を2回続ける。当時、景気がよかったので内定をいくつももらったりしている友達もたくさんいたが、わたしは非常にモラトリアムな人間だったのでなにも動かず、1年間じっくり考えようと。景気もいいし何とかなるんじゃないかと簡単に考えていました」

   留年が決まり、卒業できないと判明した時点で、「このままでいいのか」と気持ちに変化が訪れる。「大学に行ったはいいけども遊びほうけて、学問らしきものってまったくしてなかったとちょっと感じまして。せめて大学に行ってちゃんと勉強したんだ、という証みたいなものがほしかった」。木下さんは、公務員試験を受ける。「一応大学レベルの学力は修めた証明にはなるのかなというような感じで公務員試験を受けた。わたしの目的はそもそも公務員になるため、特に公務員試験を受けたわけではなく、ただ自分の怠け心に対する1つのエクスキューズとして公務員試験を受けた」。

   試験には無事合格した。「一つのぼくの目標は達していたので、本来だったらそこからもう1回考えればよかったと思うが、そのままずるずる公務員の道に行ってしまった」。

   1989年に公務員生活をスタートさせた。初めに勤めたのは、公安調査庁だった。「公安調査庁に行った理由は、単に公務員らしからぬ、しかもなんかゼロゼロセブン(007)みたいな『かっこよさそうな仕事』だなと思って行った。ただそれだけの理由なんですね」。

   入庁したものの組織にはなじめなかった。「ぼく自身の中で、違和感がありました。初めの1年2年は、若いじゃないですか。ちょっとおかしいなと思いながらも勢いで乗り切れてしまうところがある。ただ、ちょっと組織の現状がおかしいなと思っていても、いろんなものをただしていったり、革命的に組織を変えていったり、というような気概はあったと思う」。

   転機は、95年にオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件だった。「あのころ、公安調査庁は斜陽産業だった。過激派などがどんどん下火になっていた時期で、不要論とかが叫ばれていたと思います。ぼくも不要だと思っていました。明らかにこんなところいらないなと、今でも思っています。そこでオウム真理教が事件を起こし、公安調査庁が一躍脚光を浴びた。そこで組織が浮かれているような感じがちょっと感じられて、いやだったんですね」。

   事件に巻き込まれた犠牲者の遺族にも会いに行ったことがあった。「つらかったです。つらい思いをしたが公安調査庁の業務として何も生かされなかったというような。遺族のお話を聞きましたが、オウムの規制とかに私の目から見ると実感として直結していくようには思えなかった」。木下さんの中で公安調査庁への違和感が膨らんでいった。「30歳を過ぎたころぐらいからは、『とにかく出たい、出たい』の一心。どこでもいいから出してくれと」。

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