元祖車いす議員・八代英太氏が語る、重度障害者が国会に行く「意義」

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「階段がまず障害物であると同時に、絨毯も車いすで漕ぐのが大変」

   「車いすを国会へ」をスローガンに77年、参院選で初当選した。当時の国会は階段だらけで、議員会館も正面から入れなかったという。「権威の象徴みたいなものが議事堂にはあった。今から100年ぐらい前の設計だからという思いを持ちながら。(設計当時は)男しか政治はできないような時代でしたからね。まさか昭和の時代に車いすの議員が誕生するなんて誰も予想はしないわけだから。建物はそういう意味では威風堂々であると同時に、全体がわれわれにとって障害物になっちゃうわけです」。

   八代さんは、初登院の日を次のように振り返る。「国会議事堂の正面玄関の階段を登っていって、そこでバッジを受け取った。初めて男冥利に尽きるというか、権威の象徴の中に入った喜びを噛み締めたんでしょう。赤い絨毯を踏んで、そしておれは国会議員だと。そんな思いの中できっとはじめての日を迎えたんでしょう」。

   八代氏にとって、その国会は「バリアフリー」とは程遠い存在だった。

「そのころの国会は階段だらけ。傍聴も車いすは許されない。それから議員会館も陳情に行くったって、正面からは入れないから、裏にまわって貨物用エレベーターに乗る。車いすで使えるトイレはなし。僕にとっては階段がまず障害物であると同時に、絨毯も車いすで漕ぐのが大変。初登院はスタッフ4人ぐらいに抱えてもらってあがっていった。これは久しぶりの放送で見ましたけどそんな状況でした」

   国会の「バリアフリー化」に向けて、八代氏は動き出した。

「国会の中で車いすだからと甘えることもできないもんだから、いろんな活動をする裏打ちとして、それぞれバリアフリーにしてもらわなきゃならない。(参議院の)事務局にも相談しました。やみくもになんでも改造すればいいってもんじゃなく、どこをどんなふうにしたらいいかは、ぼくの方が知っているわけ。車いすという生活のなかで得た知恵があるから。その知恵を事務局のみなさんにも話した。いまあるトイレをどう改装したら車いすも使えるトイレになるのか、ということも教えながら。議員会館にも入っていくのに裏の貨物エレベーターしか使えないんじゃどうにもならない、昇降機というものがあると」

   参院議員になった当初、八代氏も「お金をかけるなら福祉は切り詰めなければいけない」、「おれの税金を何千万も使うのは許せない」などのバッシングを浴びた。一方、「『障害を持つ人に何ができるんだ』とか、そんなことはまったくない」と断言する。「ただそれ以上にそう思われては困るので、それ以上の努力を自分たち、わたしはしてきましたけれどもね。ほかの議員と見劣りがしないように、国会でも迷惑をかけないように。昔はもっとひどかったよ。車いすで国会なんていうのは正気の沙汰ではないみたいな言い方の時代だから」。

   国会はバリアフリー化していった。「バリアフリー法という法律も作りましたけど、そういうものを通して、国会が変われば、役所もおのずと同じような形に変えていかざるをえない。1人のそういう人間がいることによってバリアフリー化され、大きな波及効果となっていく」。

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