41歳の夏の「異変」から20年... ALS患者・舩後靖彦氏が「史上初」の国会議員になるまで

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   参院選投開票を迎えた2019年7月21日の21時40分過ぎ。当確を決めた舩後靖彦(ふなご・やすひこ)氏(61)は、都内に設けられた「れいわ新選組」の開票センターに姿を現し、支持者からの歓声と拍手に出迎えられた。

   全身がほぼ動かなくなる、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の舩後氏。同日、介助者を通じて、「呼吸器を装着した人間を1人で外出させるのはきっと大変。この部分も今回の選挙戦で感じた矛盾でした。でもぼくは変えたい。こんな矛盾を変えたい」と訴えていた。

  • 当選した舩後氏
    当選した舩後氏
  • 支援者らとともにスロープを降りる舩後氏
    支援者らとともにスロープを降りる舩後氏
  • 当選した舩後氏
  • 支援者らとともにスロープを降りる舩後氏

商社マンとして優秀な成績収めていたが...

   舩後氏は人工呼吸器とチューブを通じて流入食を流し込む胃ろうを装着。歯で噛むセンサーを使ってPCを操作し、介助者を通じてコミュニケーションを取る。体はまひしているが、精神活動に大きな影響はない。

   9歳から千葉で育った。大学卒業後、酒田時計貿易に入社し、商社マンとして活躍した。ダイヤモンドや高級時計を売る会社の営業マンとして、バブル崩壊後も年に6億円台の売り上げを8年連続たたき出すほどの成績を収めていた。

   1999年、41歳の夏。突如、体の異変を感じるようになる。娘さんとの腕相撲に負けた。はみがきをしようとした手から歯ブラシが落ちたり、通勤かばんが重くてたまらなくなったりした。ペットボトルのふたも開けられなくなった。同年12月には舌がもつれ、ろれつが回らなくなった。翌年春、ALSと診断される。

   ALSは体中の筋肉が弱っていく病気。原因がわからず有効な治療法も確立していない難病だ。難病情報センターによると、日本全国には約9600人以上の患者(2017年度末現在、特定疾患医療費受給者証所持者数の統計)がいる。精神活動に影響はないが、体が動かなくなっていく。舩後氏は呼吸筋も衰え01年、44歳の時に気管切開をした。声を失った。

   翌年には噛んだり、飲んだりすることができなくなり、口からの食事ができなくなった。胃ろうを医師に勧められ頑なに拒んだが、餓死寸前のところで胃ろうの手術をした。気管切開はしたが慢性的な酸欠状態に陥り、人工呼吸器をつけるかどうか判断が迫られていた。「呼吸器は付けない」と決めていたが揺らぎ始める。

   同じ症状や悩みを持つ仲間同士が助け合う「ピアサポート」を、医師に頼まれて始めたのがきっかけだった。舩後氏は医師からALSの告知を受けた人にアドバイスをしてほしいと頼まれていた。舩後氏は、指や額、しわなどの動きを拾い上げてセンサーを使用して文章を打ち、電子メールのやり取りや、メールを自動音声にして読み上げることができるようになっていた。舩後氏はALSの告知を受けたばかりの患者と、センサーを使って体の一部を少し動かすだけで、文字をシステムに入力して言葉を伝える装置「伝の心」を使って話をし、病気やまひに苦しむ人々とメールを交わすようになった。ピアサポートという生きがいを得た舩後氏は02年8月、呼吸器をつけて生きる道を選択した。

看護師から受けた理不尽な仕打ち

   ALS発症後の4年目だった。千葉市中央区の病院に入院中のころ。入浴後に机やベッドデスクの位置がおかしく、直してもらおうと看護師を呼んだ。直してはくれたが位置がいまだにおかしく、正してもらうよう要請。そのとき、看護師が何かをわめきながら机を蹴飛ばしたという。舩後氏は7月3日の出馬会見で、報道陣に対し、病院で受けた仕打ちに触れたうえで「ショックでした」と伝えた。その時住んでいた施設でも自身が退去する11年11月までに、入居者に対し、看護師が舩後氏にした類似の行為をする介護士が5人までとなり、13年に市行政の調査が入ったという。

   7月3日の出馬会見で舩後氏は、16年7月に起きた神奈川県相模原市の障害者施設殺傷事件などを踏まえ、「1919年、世界で最初に人種的差別撤廃提案を国際連盟委員会において主張した日本が、なぜ、障害者、さらには人間の価値を生産性のみで捉え、優生思想や障害者差別が色濃い国になったのでしょう」としたうえで、

「戦後欧米の労働生産性が高いものを尊ぶ文化、金もうけがうまい人を尊敬する風潮が流入したからだと私は考えます」

と分析。そして、「生産性が高いものを尊ぶ風潮が日本に蔓延している限り、相模原施設殺傷事件のようなことは再び起こる可能性があります。なぜなら、あの難病専門の病院の看護師のようなタイプのナース、介護士は、生産性もない重度障害者は生きている価値がない、という考えがあるかもしれないから」としていた。

「自分と同じ苦しみを障害者の仲間に味わわせたくない」

   投開票を迎えた21日。舩後氏は立候補した理由について「自分と同じ苦しみを障害者の仲間に味わわせたくない」と介助者を通じて伝えた。そのうえで舩後氏は、障害者総合支援法で定めている障害福祉サービスの「重度訪問介護」に触れた。重度訪問介護では、重度障害のある当事者が長時間利用できる。「これはわたしのケースではありません」と断りつつ、最近の出来事として、次のように訴えた。

「頸椎損傷で全身まひ(の当事者)です。介護保険もない状況。江戸川区に申請をお願いしに家族に行ってもらいました。いまは入院中ですが退院を迫られて、いろいろな施設に問い合わせをしても受け入れてもらえず、高齢者住宅で受け入れるよう区に相談すると、高齢者住宅にはまったく出しませんと断られました。このように日常的に起こっている出来事だと思います。障害者総合支援法と名称が変わり、総合的に日常生活、社会生活を支援するための生活と、小手先だけをいじった法律を、ぼくという人間を皆さんの目で見て、必要な支援とはなにか、今一度考え直していただける制度をつくっていきたい」(舩後氏)

   報道陣からは、「れいわ新選組が多くの支持を得た理由は」という質問が上がった。これに対し舩後氏は、

「山本代表の魅力」

と明かした。

   ALS患者が発症後に立候補して、国会議員になった例はない。山本太郎代表は同日の会見で、「国権の最高機関がALSの方でも国会議員としてやっていけるかということを柔軟に改革していかなきゃならない。健康面に関してはチーム作りをやっているところです」と今後の方針を語っていた。

(J-CASTニュース編集部 田中美知生)

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