173センチ、81キロ。ジャケットを羽織ると、どこにでもいそうなサラリーマン風だ。ラグビー日本代表主将も務めた廣瀬俊朗氏。ポジションはSO(スタンドオフ)、WTB(ウイング・スリークオーター・バックス)を始め、ユーティリティーな選手として活躍した(代表キャップ28)。
突出すべきは、その「キャプテンシー」である。日本代表前HC(ヘッド・コーチ)のエディ・ジョーンズ氏からも「自分がラグビー界で経験してきた中でも、1番の主将だ」と言わしめたほどだ。どんなラグビー人生を送ってきたのか? 廣瀬氏に聞いた。
学業とラグビーの両立...どのように?
廣瀬氏は、大阪府吹田市出身。ラグビーを始めたきっかけは?
「5歳の時に、親に無理やり(地元の吹田ラグビースクールに)連れて行かれて...。それで始めました。最初は嫌だったけど、段々と友達ができたりして、それが楽しかったですね」
と振り返る。
地元の中学を経て、高校は大阪府内の名門・北野高へと進学。北野高といえば、元大阪市長の橋下徹氏をはじめとした著名人を輩出する「文武両道」の進学校として知られる。全国高校ラグビー(花園)にこそ出場できなかったものの、主将としてチームをけん引した。
大学には、高校の「指定校推薦」で慶應義塾大に進学。しかも、基本的に授業が1限~6限まで、ほぼフルに入っている「理工学部」への入学だった。しかし、ラグビーを続けたかったのなら、他大や他学部という選択肢もあったのでは?
「いや、高校の指定校推薦で慶大...っていうのが、理工学部しかなかったので。元々、数学が好きで、文系よりは理系で...っていうことで決めました」
授業と練習の両立は厳しくなかった? と聞くと、
「慶大は、文系が三田(東京都港区)、SFC(神奈川県藤沢市・湘南藤沢キャンパス)って分かれるんですけど、理工学部は、ずっと日吉(横浜市)でしたから(慶大ラグビー部グラウンドは日吉にある)。いつも自転車で行き帰りして、他の選手よりは楽だったと思います。数学が好き...っていう点では、ラグビーのプレーにおける考え方、トレーニングの組み方...っていうところで『論理的に考えられる』っていうことで、生きたと思いますね」