「ある日、急にミュージカルチームをやってみたくなって、みんなに相談したんです」――そんな談話とともに掲載された、一枚の写真。集合写真から切り出されたものだろうか。サイドをすっきり切りそろえた髪型。通った鼻筋。穏やかそうな目元。
のちのジャニーズ事務所社長、ジャニー喜多川さん32歳の姿である。掲載したのは、当時人気だった少女向け雑誌「女学生の友」(小学館)1964年4月号だ。
65年にはすでに「写真拒否」
2019年7月9日、87年の生涯を終えたジャニーさんは、自らの写真がメディアに掲載されることを、頑なに拒んだことで知られる。すでに1965年の「週刊サンケイ」では、
「喜多川氏の写真は、本人の写してもらいたくないとの希望で掲載しません」
との但し書きがある。この32歳当時の写真は、2012年版ギネスブックに掲載されたものと並ぶ、数少ない例外だ。
この1964年という年は、ジャニーさんにとって、その後の人生を決める「ターニングポイント」だった。
ジャニーさんは米ロサンゼルスで、日本人僧侶の次男として生まれた。戦後、父の故郷・日本で、米大使館などで働くようになる。その傍ら、自らの名を付けた少年野球チーム「ジャニーズ」を立ち上げ、そこから同名の男性アイドルグループ「ジャニーズ」が誕生する――。
そのジャニーズが芸能界に本格的に打って出たのが、1964年なのである。父の縁で50年代から、エンターテイメント業界とかかわりを持っていたジャニーさんにとっても、この年はある意味で「デビュー」を果たした年と言っていい。
この年の芸能雑誌や少女雑誌には、売り出し中のアイドルとして、ジャニーズの特集記事がたびたび組まれている。それらの記事を見ると、ジャニーさんの名前は毎号のように登場する。その描写からは、ジャニーさんの「原点」がうかがえる。