「もっと意見をくださいって」「男の意見が大事なので」
生まれと育ちは名古屋。8歳ごろに両親が離婚し、父親は蒸発した。「前から父親がずっといなくて。教科書通りにぐれて、教科書通りに悪いこともして」。
小学校高学年のころ、母親が人工透析の体になった。それでも「兄妹3人を食わせていく」と働いていたが、17歳の時、過労で亡くなった。「本当に愛のある母親で、母親からずっと『愛している』と言われて、全然実感もわかなかった」。
母親が亡くなり祖母にも育てられたが、高校を卒業してすぐ家を出て1人暮らしをした。
「ばあちゃんや兄妹とも不仲なので、すぐに家を出て家族誰とも連絡をとらずに、『おれは1人でおれは生きていく』って決めて」。23歳ぐらいまで水商売をやり、24歳ぐらいから整体師として働いていた。
接骨院で働き始めたころ、祖母が亡くなった。「ばあちゃんが亡くなるかもしれない時に初めて家に帰ったんですね。一番親不孝もので、僕が来て10分で亡くなりました」と回顧する。
「一回も僕親孝行した覚えがないんですよね。本当にそれが心残りで、靴や解剖学とかそういうのも全部勉強して続けて、女の人に要望されたらぼく断れないんです。だから学校も通うし、普通お客さんに言われたところで、仕事減らして学校も通わないですけど、でも『やりますよ』と。今でこそ一貫しているから、女の人に靴も作れるし、足も治せるし、体も治せるからできるんです」(伊藤さん)
女性に手を差し伸べる理由について、伊藤さんは次のようにも語った。
「ぼくの周りに女性の親とかいなくて、ばあちゃんと母さんへの恩返しでぼくはやっている。残りの人生は、もう女の人に対して貢献し続けるというのが自分のなかにあった。女の人を見るとみんな、お母さんとかおばあちゃんに見えてきちゃう。お願いされるともう、断れないですよ。むしろ女の人でも困っていたら、何よりも助けなきゃと思う。ぼくも女性のためだったら、それぐらいのことをしなきゃと思っているので。どれだけ。ばあちゃんや母さんに迷惑や心配をかけたかってことを考えると、おつりが来ますから。まだまだ恩返ししきれてないなと思って」(伊藤さん)
批判的な声を浴びることもある。寄せられるのは、「フェミニスト野郎」「俺は履きたくない」「パンプス作ってんのにKuToo活動って矛盾している」「俺は革靴を履いて靴擦れとか起きているんだ」などのバッシングだ。
「もっと意見をくださいって僕は(メッセージを)送ります。男の意見が大事なので。そういう意見があればあるほど、履いてみたいって乗っかってくる人間もいるじゃないですか。10の反対が出たら10の賛成も出てくるので、もっと意見くれって言いますね」(伊藤さん)
(J-CASTニュース編集部 田中美知生)