保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(38)
東條が黙殺した「日米戦力比較資料」

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   兵站なき戦争は二つの結果を生む。一つは兵士の大量死である。もう一つはその責任が問われずにうやむやにされるということだ。本来軍事指導者の責任こそが問われるべきなのに、大体は現場の指揮官や参謀の戦争遂行能力のせいに転嫁される。この無責任体制を裏づける数字をいくつか紹介しておくことにしたい。

   太平洋戦争は日本が初めて経験した総力戦であった。この意味は国家全体を戦争のために再編成するとの意味を含んでいた。政治、経済、外交、文化、それに日常の規範まで、すべてを戦争のために作り変えるとの意味を含んでいた。戦場の兵士を支える後方の備えや兵站が十全に確保されているのが国家総力戦の柱であった。この点を軍事指導者は全く甘く考えていた。本来なら、日中戦争から太平洋戦争へのプロセスは国家総力戦そのものの質的転換をとげなければならなかった。しかし日米の戦力比較を冷静に行ったとはいえない。

  • 東條英機は終始兵站を軽視した
    東條英機は終始兵站を軽視した
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
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「アメリカには国の芯がない。我が国には三千年に及ぶ国体がある」

 

   これはよく知られたことだが、太平洋戦争の1年ほど前に陸軍省戦備課長の岡田菊三郎が、東條英機陸相の命令で日米戦力比較の資料を作成している。その報告書は1941(昭和16)年1月にまとめられて、東條の手元に届いた。その報告書の冒頭には、もし日米戦争になったなら長期戦などは考えられない、開戦3年目には石炭搬出が難しく、全生産がマヒ状態に陥るとの結論が書かれていた。この報告書を東條は陸軍省、参謀本部の上層部にしか見せていない。この報告書が、政策決定に影響を与えることを恐れたのである。国力がアメリカと戦えないことは陸軍の上層部は、内部資料で知っていたのである。

   この報告書に目を通した時の東條の様子について、秘書官の直話によるなら、「アメリカには国の芯がない。我が国には三千年に及ぶ国体がある」と豪語したそうである。つまり真面目に戦力不利の資料を精神論でカバーしようとしていたのである。

   こうして戦われた戦争で、陸軍兵士の戦死者数はどの程度だったのかを見ていくと、満州事変以降の戦死者の合計は114万429人である。このほかに戦傷者約30万人、シベリア抑留者の中の死者などがいる。しかし敗戦時の死者数には含まれていない。これだけの戦死者の内訳をみると以下のようになる。(数字は厚生労働省調べ)

(国名) (戦死者数)
アメリカ 48万5717人
イギリス 20万8026人
中国 20万2958人
オーストラリア    19万9511人
仏印 2803人
満州ソ連 7843人
内地 1万543人
その他 2万3388人

   対米英豪戦での戦死者は約89万に達し、全体の80%を超えているのである。中国とは14年余にわたって戦われたことになるが、ここでの死者の割合は全体の2割程度だ。3年8ヶ月の対米戦と比べると、死亡率は15対1に広がっていく。この開きは国家総力戦の段階での国力の違いともいえるように思う。その開きは餓死、玉砕などによる大量死であると言ってもよいのではないかと、私には思える。

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