時が経つのは、早いものだ。
「Mr.ラグビー」と呼ばれた平尾誠二さんが亡くなったのは、2016年10月20日――。53歳という若さだった。その端正な顔立ちと、トレードマークだった口ひげ。何より、日本中のラグビーファンを魅了し続けた華麗なプレーの数々は、今でも多くの人々の心に残っている。
「ラグビーW杯日本大会」が開催される2019年、平尾さんの人生を振り返る書籍「友情2」(=同書、講談社、1400円+税)が5月24日、発売される。かねて親交のあったノーベル賞受賞者の山中伸弥教授「編」で、2017年に発売された「友情」の続編となっている。プレーはもちろん、平尾誠二という1人の男が、どれだけ周囲から愛されていたのか、その魅力は...という生きざまを、同書とともに振り返ってみたい。
死の2日前、愛娘の早紀さんが「赤ちゃんができたよ。パパはおじいちゃんになるんだよ」
伏見工(=現・京都工学院高)花園初優勝、同志社大3連覇、神戸製鋼7連覇、日本代表主将、日本代表監督...平尾さんのラグビー史は、どんな言葉を並べても語りつくせない。同書では、愛娘の早紀さん、盟友だった山中教授、ドラマ「スクール☆ウォーズ」の「泣き虫先生」として有名になった山口良治元監督(元日本代表)らの言葉でつづられている。
元ラガーマンだった筆者が、同書の中で一番、心を打たれたのは、愛娘の早紀さんの言葉だ。
「赤ちゃんができたよ。パパはおじいちゃんになるんだよ」
早紀さんは2015年6月に結婚。第1子を妊娠し、「パパ」に報告したのは、平尾さんが天国に旅立つ2日前だったそうだ。
現役当時の平尾さんは、土日も練習や試合で「ほとんど家にいなかった」と語る早紀さんだが、同書の中で唯一、
「目立つことが嫌いで、学校の行事にほとんど参加しない父が、一度だけ幼稚園の授業参観に来てくれたことがあります。そのときの写真を見ると、わたしのために精一杯、"普通の父親"らしいことをしてくれていることがよくわかります」
と語っている。
また、早紀さんが結婚すると報告した時、平尾さんは「相手はどんな奴なんだ」と聞くことはなく、
「相手が何をもっているかは重要じゃない。その人のもっているものが何もなくなったときに、好きでいられるかどうかが大切や。そういう相手と結婚すべきや」
父親としては「どんな相手なのか?」と当然、気になるところではあっただろう。しかし「相手の地位や肩書や財産は問題ではない――」。愛娘を信じ、その「信じた道を行け」という、平尾さんなりの最大の餞(はなむけ)だったのだろう。