「審判としては、火のないところに煙を立ててしまった」
もう1つのキーワードが「エンパシー(共感)」である。清水氏は言う。
「今回の誤審が特徴的だったのは、GK西川選手をはじめ、ゴールが決まった事実に両チームが疑いを持っていない状況で、審判だけがわざわざ状況を覆す判定に至ってしまったことです。西川選手は誰にパスするわけでもなく、ボールを返し、次のキックオフを待つ様子でした。また、湘南の選手もハイタッチして祝福しています。誰もゴールを疑っていない。
もちろん、通常であれば、審判が当事者の主張を受け、判定するのは非常に危険です。偏った主張をされる恐れが強いからです。しかし、この場面はどちらも最初から疑いを持っていなかった。審判としては、火のないところに煙を立ててしまった状況です。ピッチ上の様子や選手の雰囲気に、審判のエンパシー(共感)があれば、副審と詳しく協議をしたり、第4審判の意見を聞いたりして、主審としても判定を考え直す余地はあったはずです」
清水氏によれば、サッカーは草創期から審判がピッチにいたわけではない。両チームが自主的に判定し、揉めたときは両チームが話し合って判定を決めた。だが当事者だけでは収集がつかない場面が増えたため、第三者に決めてもらおうと、「仲裁人」の意味合いの審判が登場することになった。「その意味から言えば」と、清水氏はエンパシーの重要性をこう説明する。
「火のないところに煙を立てるのは、サッカーの審判のあり方として、疑問を持つところはあります。もちろん、ゴールという最もプレッシャーがかかる判定について、エンパシーを持ち出して解決を図るのは難しいのですが、日本の審判の弱点であり、試合全般を通じて見られる傾向であるのは確かです」