不祥事相次ぐ慶應ミスコン
「ミス慶應」は女性アナウンサーの登竜門として知られているが、09年に主催団体「広告学研究会」の男子学生9人が、商店街から駅構内にかけて全裸で疾走したとして、公然わいせつ容疑で書類送検された。この影響で同研究会は無期限で活動を停止することを発表し、10年の「ミス慶應」は中止になったが、11年に復活。
16年には同団体が集団強姦事件(不起訴処分)を起こし、団体は解散。コンテストも中止となった。
17年には別の団体「KJ」(旧 慶應ジャーナル)が応募資格を拡大してコンテストを事実上復活させたが、18年にはさらに前述の実行委員会がコンテストを立ち上げ、KJは「諸事情により」撤退。結果的にミスコンは一本化された。