彼の両親は内戦で混乱に陥った中国大陸から台湾に渡ってきた。幼い頃、困窮した一家は寺の一室で生活していた時期もあったという。こうした経験が立身出世の思いを強くさせたとされる。
1974年に創業したプラスチック部品の小さな会社が、後にIBMなどの欧米企業からパソコンの組み立て作業を請け負うようになった。会社は次第に成長し、ついに台湾一の富豪にまで登り詰めた彼は、ついに総統選への出馬を表明する。そう、鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘会長である。
日本人を驚かせたシャープ買収交渉
2020年1月の台湾総統選に向けて、野党の国民党から出馬する意向を表明した郭氏。68歳の郭氏は、電子機器受託生産で世界有数となった鴻海の創業者である。鴻海は日本のシャープも傘下に従え、買収に至る過程では郭氏が陣頭指揮をとった。その過程を振り返ってみよう。
液晶への過大な投資で経営不振に陥っていたシャープに対して、鴻海が10%弱の出資をすることで両社は合意していたが、シャープの株価が低迷していたことを口実にして、鴻海は出資条件の見直しを始めていた。来日した郭氏との直接交渉で出資条件の最終合意を急ぎたいシャープに対して、郭氏は具体的な協業の内容を固めたかったため折り合いが付かず、郭氏は席を立ったという。
トランプ氏とは親密、中国ともパイプ
騒然とした報道陣に応対した鴻海幹部の戴正呉氏(現シャープ会長兼社長)は「(郭氏は)急な予定があるので、ここを離れた」と苦しい弁明をした。もっとも当の郭氏は台湾に戻った後、現地の報道機関の取材に対して、シャープの経営への関与を強めることに意欲を示し、焦るシャープ経営陣に揺さぶりをかけた。その後、シャープの経営がさらに悪化した際、日本の官民ファンドだった産業革新機構が買収に名乗りをあげたが、シャープは結果的に鴻海傘下での再建を選んだ。徹底したコスト管理と信賞必罰の人事制度を掲げる鴻海流の経営で、シャープが危機を脱したのは周知の通りだ。
秘密裏で進むはずの交渉を表に出し、メディアを通した発言で有利に事を運ぶ――。こうした郭氏の手法は、米国のトランプ大統領に通じるものがある。実際に両氏は親しく、2017年には両氏がホワイトハウスで共同記者会見をして、鴻海が米ウィスコンシン州に100億ドルを投じて液晶工場を建設すると発表したほどだ。トランプ大統領に接して、「数々のディールを繰り広げてきたビジネスマンが政界に転身して名を上げる」という青写真が郭氏の脳裏に浮かんだとしても不思議ではない。事実、5月1日に訪米した際には、さっそくトランプ大統領と対面した。
台湾総統選に関する現地の世論調査では、現職の蔡英文総統と郭氏の一騎打ちになった場合、郭氏の支持率が大幅に上回っているという。ビジネスを通じて中国とパイプもある郭氏が総統になれば、東アジアのパワーバランスにも影響を与えそうだ。