2019年5月5日、マイクロソフト共同創業者である故ポール・アレン氏が遺した探索チームが、太平洋戦争中の1942年に戦没した旧日本海軍の重巡洋艦「古鷹」をソロモン諸島沖のサボ島沖合1400メートルの海底で発見したと発表した。
近年では人気ゲーム「艦隊これくしょん」などへの登場でも、その名を知られている古鷹。同チームによると発見日は2月25日となっている。
完成当時は最新鋭の性能
重巡古鷹は1922年(大正11年)12月5日に起工し、1926年(大正15年)3月31日に竣工して横須賀鎮守府に在籍していた。
完成当時は世界に先駆けて20cm砲を搭載するなど最新鋭の性能を誇っていた古鷹だったが、大正から昭和初期にかけて世界中で技術や装備が急速に進歩したため瞬く間に性能は陳腐化。第二次世界大戦が開戦される寸前の1939年4月に大規模な近代化改修を受けることとなった。
1941年(昭和16年)12月8日の時点での古鷹は姉妹艦の「加古」準同型艦の「青葉」「衣笠」と共に第六戦隊として編成され、南洋防衛を担当する第四艦隊の指揮下に入り、グアム島攻略作戦などを支援していた。
1942年5月には世界初の空母対空母による戦闘が行われた珊瑚海海戦にも参加し、沈没した軽空母祥鳳の乗員救助や大破した空母翔鶴の護衛任務を果たした。
8月7日、古鷹ら第六戦隊は重巡「鳥海」軽巡「天龍」らと共に、ガダルカナルへ上陸しようとする米軍輸送艦隊を護衛していた米豪連合艦隊と交戦し、重巡4隻を撃沈するという大勝利を挙げた。このとき古鷹は主砲153発、高射砲94発、25mm機銃弾147発を発射するなど奮闘し、勝利の立役者となったのだった。
しかしこの戦いの帰路、姉妹艦の加古が米潜水艦S-44の雷撃を受けて沈没。古鷹は姉妹艦の最期をその目で見届けることになった。
混乱する状況の中、米軍の標的とされ...
10月、日本軍はガダルカナル島への兵員輸送に失敗し、戦局は米軍側に大きく傾いていた。米軍が保持している飛行場を破壊しなければ兵員の大規模輸送は不可能と判断した日本軍は、第六戦隊や戦艦「金剛」「榛名」らによる飛行場破壊作戦を立案し、実行に移した。
第一次攻撃隊の一員として進発した古鷹だったが、11日夜間にサボ島付近で米軍の迎撃部隊と会敵、サボ島沖海戦が生起する。
この戦いは、旗艦を務めていた青葉が米艦隊を味方と誤認し、砲撃を受けて指揮官が戦死するなど混乱したものとなった。米軍側はレーダーを使用した統制砲撃で日本海軍の艦船に次々と命中弾を与え、古鷹も多数を被弾してしまう。
このとき魚雷用の酸素が誘爆して大火災を起こした古鷹は、夜の闇に赤々と照らし出されてしまい、格好の目標となり集中攻撃を受けて22時40分には航行不能に陥り、12日午前0時28分に沈没。戦死者は33名だった。
(ライター 早川清一朗)