五島勉氏はどこから「予言」を見つけた?
もう一度、各メディアの記事を読み返していると、「参考文献」として五島勉氏の『聖徳太子「未来記」の秘予言』を挙げるものがあった。ダメ元で取り寄せたところ、あった。太子が25歳のとき、宇治の地で残した予言として、下記のように「引用」されていたのである。
「私の死後二百年以内に、一人の聖皇がここに都を作る。そこはかってない壮麗な都になり、戦乱を十回も浴びてもそれを越えて栄え、一千年の間、遷都はないだろう。だが、一千年の時が満ちれば、黒龍が来るため、都は東に移される。それから二百年を過ぎたころ、こんどはクハンダが来るため、その東の都は親と七人の子のように分れるだろう」(原文ママ)
ネット上で拡散する「クハンダ予言」と、ほぼ同一の内容だ。クハンダを「末世の時代に現れる鬼」「真っ黒く汚れた存在」と称するのも共通する。一連の記事のネタ元は、この本と見て間違いない。
では、五島氏はどこからこの「予言」を見つけたのか。続く文章には、「出典は、前出・白石重氏の著書など。原本も前出『旧事本紀』など。ほか熊野地方の神道系の太子研究者に取材」。ほかの「予言」は一応、出典が明記されているが、ここだけ非常に曖昧である。