繰り返し「発見」されてきた聖徳太子の予言
そして、もう一つは、そもそもこの「予言」の出所がどこか、という問題だ。
一連の記事では、予言の出典を単に「聖徳太子が残したとされる未来記」と、非常にざっくりと紹介している。が、この「未来記」というのが厄介なのである。
聖徳太子は予知能力の持ち主であると信じられ、その「予言」とされるものが、歴史上たびたび出回っていたことは事実だ。小峯和明氏の『中世日本の予言書』(岩波新書)によれば、こうした「予言」は平安時代ごろから繰り返し「発見」されてきたといい、特に中世には盛んに読まれた。その総称が「未来記」だ。
厄介、というのはそこである。たとえば「ノストラダムスの予言」なら、ノストラダムスが遺した著書がちゃんとあり、後はその解釈の問題になる。ところが「聖徳太子の予言」=未来記は、「発見者」がその都度、太子の名を借りて偽作・捏造したものなので、いくらでもバリエーションが存在する。そして、そんな未来記たちのどれに「クハンダの予言」があるのか、まるでわからないのである。
筆者は学生アルバイトにも協力してもらいつつ、江戸時代までの文献に登場する「未来記」を調べて回った。しかし、いずれも空振りだ。「平安京を予言した」までは、平安時代にはすでに言われていたらしいのだが、そこから先、「東の都」、はては「クハンダ」なんて話は、どこにも出てこない。