「令和」はどのような時代になるのだろうか。
それは、安倍政権がどうなるか、その上でもし安倍政権が続く場合、どのような政策を打つのかによって大きく異なってくるだろう。
自民党の一部から党総裁について安倍四選という話も出てきているが、これまでの歴史をみると、そう簡単ではないともいえる。
大正、昭和、平成の改元時は「半年足らずで退陣」
明治以降、改元は、(1)1912年7月30日(大正元年)、(2)1926年12月25日(昭和元年)、(3)1989年1月8日(平成元年)と、今回の(4)2019年5月1日(令和元年)である。
それぞれ、(1)は第二次西園寺内閣(1911年8月30日~1912年12月21日)、(2)は第一次若槻内閣(1926年1月30日~1927年4月20日)、(3)は竹下内閣(1987年11月6日~1989年6月3日)の時に起こっている。(4)は第四次安倍内閣(2017年11月1日~)である。
これまでの改元では、半年たらずの4、5か月後に内閣は退陣している。(1)大正後は4か月22日、(2)昭和後は3か月26日、(3)平成後は4か月26日で、それぞれ内閣が倒れている。
もっとも、これまでの改元は天皇崩御に伴うもので、今回のように譲位とは違っている。しかし、それにしても過去3回で5か月後に内閣退陣は不吉な事実である。
(1)の内閣退陣は、日露戦争後の情勢変化により当時勢力を強めていた軍部と財政難を理由とする内閣との争いが原因で、1912年12月西園寺内閣のほうが総辞職に追い込まれた。
(2)は、1927年3月の昭和金融恐慌であった。経営危機となった台湾銀行を救済する緊急勅令案発布について、1927月4月枢密院が否決して若槻内閣が倒れた。枢密院は戦前の天皇の諮問機関であり、戦後は廃止されている。
(3)は記憶に新しい。1988年12月24日消費税導入を柱とする税制改革法を竹下内閣は成立させた。しかし、消費税への反発は強く、その上竹下内閣の不祥事もあり、内閣支持率が低下し、1989年6月退陣に追い込まれた。
歴史が語る「若干の示唆」
いずれも、今とは時代背景が異なるので、軽々に歴史は繰り返すとは断言できない。しかし、若干の示唆もあると筆者は思っている。
(1)は、国際情勢にもかかわらず緊縮財政を言い過ぎた結果といえる。(2)は、若槻内閣の後を継いだ田中義一内閣の高橋是清蔵相が、モラトリアム(支払猶予令)と大量の日銀券増刷で昭和金融恐慌がおさまったことから、今の言葉でいえば、金融引締政策のためだと解釈できる。(3)は、いうまでもなく消費税が原因である。
これをあえて今のマクロ経済政策の財政政策と金融政策に置き直してみると、(1)と(3)は財政緊縮政策、(2)は金融引締政策がそれぞれ原因であると整理できる。
そこで、カギを握るのが、今年10月からの消費増税である。それが予定通りになると、6月30日から8月にかけて予定されている参院選で負け、安倍退陣というシナリオもありえる。
先の衆院補選での自民二連敗によりその予感がある。安倍側近の萩生田官房副長官も個人的見解としながら、消費増税の先送りもありえると発言した。
御代替りのあと、各種経済指標が出て経済悪化が認識されるだろう。6月末のG20が近づくにつれて消費増税見送りの機運も高まるだろう。
安倍政権は、新しい時代の門出を祝うために、消費増税を吹っ飛ばす可能性がある。
++ 高橋洋一プロフィール
高橋洋一(たかはし よういち) 元内閣参事官、現「政策工房」会長
1955年生まれ。80年に大蔵省に入省、2006年からは内閣参事官も務めた。07年、いわ
ゆる「埋蔵金」を指摘し注目された。08年に退官。10年から嘉悦大学教授。著書に
「さらば財務省!」(講談社)、「この数字がわかるだけで日本の未来が読める」(KADOKAWA)、「日本の『老後』の正体」(幻冬舎新書)など。