「Qちゃんの金メダルは有森のおかげ」 故・小出義雄氏が記者に見せた「叡智の結晶」

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   女子マラソン五輪メダリストの高橋尚子さん、有森裕子さんらを育てた小出義雄氏が2019年4月24日、死去した。80歳だった。小出氏は地元千葉県の高校の教員を経て実業団の指導者となり、1992年バルセロナ、96年アトランタ五輪で有森裕子さんを2大会連続でメダルに導き、2000年シドニー五輪では高橋尚子さんが日本女子マラソン初の金メダルを獲得。01年6月に「佐倉アスリート倶楽部」を設立し、女子マラソンをはじめとし、女子長距離選手の指導に当たっていたが、近年は体調が思わしくなく入退院を繰り返していたという。

   小出氏は地元千葉の高校を卒業後、しばらくは実家の農業に従事していたが、陸上への情熱を捨てきれず22歳の時に大学に進学した。順天大では箱根駅伝に3年連続で出場し、選手としても実績を残している。大学卒業後は教員として地元千葉県の高校に赴任。市立船橋高では全国高校駅伝でチームを優勝に導くなど、指導者として頭角を現した。

   高校の指導者を経て実業団のリクルート、積水化学で監督を務め、世界的な選手を育て上げた。92年バルセロナ五輪では有森さんが銀メダルを獲得し、続く96年アトランタ五輪では銅メダルを獲得。97年世界選手権では鈴木博美さんが金メダルを獲得し、女子マラソン界の名伯楽として世界にその名をとどろかせた。

   小出氏の指導者としての集大成となったのは、高橋さんを率いて臨んだ00年シドニー五輪だろう。35キロ過ぎにサングラスを沿道に投げ、追走する宿敵リディア・シモンさん(ルーマニア)を振り切って日本女子マラソン初の金メダルを獲得したシーンは、多くの国民を熱狂の渦に巻き込んだ。

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メディアで報じられる「気のいいおじさん」ではなく...

   酒が好きで、豪放磊落な性格で知られる小出氏。記者は99年から01年までの3年間、小出氏を取材してきたが、そこで感じたのが小出氏は「策士」だったということ。本来の小出氏は、メディアで報じられる「気のいいおじさん」ではなく、自身の経験に基づいた確固たる信念の持ち主で、高橋尚子さんの金メダルは小出氏の長年にわたる指導者としての叡智の結晶だったと思う。

   92年バルセロナ五輪では、レースとは別にもうひとつの「戦い」を強いられた。女子マラソン代表選考にあたって、日本陸連は、世界選手権銀の山下佐知子さん、同4位の有森さん、大坂国際女子優勝の小鴨由水さんを選出。当初、代表が濃厚とされた松野明美さんが、陸連の決定に反発して大騒動へと発展。陸連の決定事項であるにもかかわらず、有森さんが選考レースに出場せずに世界選手権の成績だけで代表に選出されたため、批判の矛先は有森さん、小出氏にも及んだ。

   続く96年アトランタ五輪もまた、周囲の声が重くのしかかった。92年バルセロナ五輪以降、フルマラソンに出場していなかった有森さんは、代表選考レースの95年北海道マラソンに出場。3年ぶりのマラソンにもかかわらず、有森さんは当時の大会記録を更新して優勝し、2大会連続の五輪代表の座を射止めた。五輪前には、有森さんの2大会連続メダルを期待する世間の声の一方で、ピークは過ぎたとの声も見られた。

「いつかはマラソンで男子を育ててみたい」

   有森さんの五輪2大会連続のメダル獲得が、小出氏を指導者として、もうひとつ上のステージに押し上げたに違いない。00年シドニー五輪を取材した際の出来事で、今でもよく覚えているのが、小出氏と高橋さんがシドニーの空港に降り立った時のことだ。詰めかけた50人以上もの報道陣を前にして小出氏は言った。「Qちゃんはここで全部話しますよ。何でも聞いてね」。

   笑顔で報道陣の質問に受け答えをする高橋さんと、それを傍らでニコニコ見守る小出氏。残り2人の女子マラソン代表チームの対応とは、何もかもが違って見えた。高橋さん以外の代表選手、監督らは空港に降り立つと、一様に緊張感をみなぎらせ、悲壮感すら漂っていた。老獪にメディアを操り、選手の背中を強く押す小出氏とは実に対照的な光景だった。これが五輪を戦ってきた指導者と、そうでない者の違いなのだろうか。この時、記者は改めて小出氏の指導者としての質の高さを感じた。

   高橋さんが金メダルを獲得したのち、小出監督はこう話していた。「俺も色々と有森で経験してきたからね。バルセロナとアトランタがなかったらシドニーの金メダルはなかったかもしれないね。Qちゃんの金メダルは有森のおかげかな」。

   女子長距離界で数々の世界的名選手を育て上げた小出氏は、生前にこんなことも言っていた。「いつかはマラソンで男子を育ててみたい」。ついにこの夢を叶えることなく、女子マラソンの名伯楽が逝った。

(J-CASTニュース編集部 木村直樹)

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