戦争末期には兵站無視するように
私が取材した経理将校からは、「我々は戦争の舞台裏を見たので、戦争がどれほど経済的にも馬鹿馬鹿しいか」を何度も聞いた。いかに多くの相手の航空機や船舶を撃沈させたとしても、アメリカ側の戦力は次から次に新型兵器をつぎ込んでくる。このことは、兵器の単価がアメリカ側は次第に安くなることを意味する。逆に日本の航空母艦はそれこそ国の宝のような扱いを受けているものの一隻建造しても作戦行動に加わらずにアメリカ軍によって沈められたりもする。その費用対効果はゼロになっていく。
戦争末期になれば、特攻作戦や玉砕戦術は戦争の経済学では何の意味を持たない。兵員の戦死は、その一時金や恩給などのほか遺族への見舞金などで財政的にも痛手である。主計将校が、戦争の挫折の時期から崩壊、解体と進んでいく時期に実際のところ不要扱いされたのは、こうした計算をし始めたら天文学的な数字になるだろうと恐れたためだった。それゆえ「原価計算なき戦争」に入っていったことになる。
戦争末期になると軍事指導者は、兵站の一切を考えない。全て現地で調達せよとの命令をひたすら通達し続けたのである。旧華族の徳川義親は、南方の戦線を見て東京に戻り、軍中央の指導者と会ったらほとんど全員が肥えているのに愕然とした、と書き残している。南方の兵士たちは餓死しているというのに、というのだ。(第37回に続く)
プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)、『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。