保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(36)
有名無実化した「戦争の原価計算」

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   戦争を国家的な事業と考えた場合、利益を上げるとすれば勝つとこと以外の選択肢はない。そこに無理があったのは、前回の稿でも触れたのだが、開戦時の蔵相であった賀屋興宣がいみじくも語ったように、戦争はそれ自体軍人たちの権益を拡大することであり、簡単には引けなかったと言えるように思う。

  • 「戦争の原価計算」は有名無実化した(写真はミッドウェー海戦)
    「戦争の原価計算」は有名無実化した(写真はミッドウェー海戦)
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
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財源不足指摘され「それでは紙幣を印刷すればいいではないか」

   しかし戦争には経済的な側面があり、膨大な軍事費を必要とする。つまり国家予算をつぎ込んで戦う消耗戦である。精神論に傾斜する軍人には、この面が見えない。財政専門家たちの戦後の回顧録に見られるのだが、軍事費の財源不足を訴えても、「それでは紙幣を印刷すればいいではないか」という程度の認識の軍事指導者がいたそうである。あるいは大蔵省の陸軍担当の主計官が予算をカットするのを怒った軍事指導者が、「陸軍の言い分を聞かないのは統帥権干犯だ」とサーベルで床を叩いて威圧をかけることもあったという。

   戦争も行き着く先は原価計算の世界である。最小の投資で最大の戦果を上げるというのが鉄則である。そういう計算を行うのが経理将校(主計将校)である。例えばある海戦が行われるとすると、そこに日本側はどれだけの艦艇でどれほどの武器弾薬を用いて、アメリカ軍との戦いを行ったかを計算する。その戦いで日本海軍が与えたアメリカ軍の被害、同時に日本側が受けた損害などが数量化されていく。大破した艦艇があるのなら、その修繕、改修にはどこから鉄を調達するか、その予算はどれほど必要かなどが、たちまちのうちに試算されていく。この艦艇は修理すべきであるとの結論が出たら、応急手当てで修理の後に再び前線に出ていくのである。主計将校のそうした計算はきわめて厳格に行われなければならなかった。

   こうした数字が積み上げられて、戦争の継続の可否が決定される。むろん戦争に勝って賠償金を獲得するというのは、このような数字が基礎になって賠償額が決められるのであった。

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