政府が2019年4月9日に紙幣(日本銀行券)のデザインを一新すると発表したことで、1万円の図柄が約40年ぶりに福沢諭吉から交代することになった。福沢は04年のリニューアルでも唯一「続投」。当時の首相と財務相が慶応出身だったことが背景にあるのでは、といった見方も広がった。
ただ、福沢が紙幣から「引退」しても「慶応との縁」は残る、という主張する向きも一部にはあるようだ。
早大出身の福田官房長官は...
言うまでもなく福沢は慶応義塾の創設者。1984年に聖徳太子から交代して1万円札の顔になった。現行紙幣のデザインが発表された02年8月時点の首相と財務相(小泉純一郎氏と塩川正十郎氏)は慶大卒だったことから、続投との関連を疑う声が相次いだ。塩川氏は当時の記者会見で、福沢だけが「続投」したことへの思い入れを聞かれ、流通している紙幣のうち6割が1万円札だとして、
「そうすると、1万円札を初めから全部やり直すとなったら、枚数が大変なことになる。1万円札は非常にきれいな、要するに非常に良好な状態で維持されているから、これを活用していきたいということが重点だった」
などと説明し、母校との関連を否定した。早大出身の福田康夫官房長官(当時)も、「そんなケチな考えで決めたわけではない」と否定し、返す刀で、
「そんなことを言えば、私の方も考えてもらわないと...」
などと早大創始者の大隈重信を冗談交じりに売り込んだ。