気仙沼の街を、パレードは行く 地元支えるインドネシアとの縁【震災8年 海外とつながる(4)】

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   宮城県気仙沼市はインドネシアと縁がある。2011年の東日本大震災から3か月後、インドネシアのユドヨノ大統領(当時)が気仙沼を訪れて被災者を励まし、200万ドル(約2億2000万円)を寄付した。2018年にインドネシア・スラウェシ島で大地震が発生すると、今度は気仙沼市民が募金活動を行った。

   気仙沼には現在、水産業を中心にインドネシアからの技能実習生を受け入れる企業が少なくない。夏祭りでは「インドネシアパレード」が行われる。

  • 「インドネシアパレード」の様子(写真提供:気仙沼商工会議所青年部)
    「インドネシアパレード」の様子(写真提供:気仙沼商工会議所青年部)
  • 菅原工業専務・菅原渉さん(左)と、技能実習生として働いていたヘルシスワントさん
    菅原工業専務・菅原渉さん(左)と、技能実習生として働いていたヘルシスワントさん
  • 震災から8年が過ぎた気仙沼市中心部
    震災から8年が過ぎた気仙沼市中心部
  • 「インドネシアパレード」の様子(写真提供:気仙沼商工会議所青年部)
  • 菅原工業専務・菅原渉さん(左)と、技能実習生として働いていたヘルシスワントさん
  • 震災から8年が過ぎた気仙沼市中心部

インドネシア人住民の、年に1度の楽しみ

   女性は色とりどりのドレスをまとい、男性は伝統的な「バティック」染めの服を着て、エキゾチックなデザインの山車(だし)を引き、にぎやかに練り歩く。毎年夏の「気仙沼みなとまつり」で行われる「インドネシアパレード」だ。

「パレードは毎年参加しています」

   道路工事現場の作業を終えたインドネシアからの技能実習生、ヘルシスワントさん(28)は、こう話した。祭りには参加者が和太鼓を演奏する催しがあり、これにも挑戦。「太鼓が叩けて楽しかった」と笑った。

   インドネシアパレードは、2003年に「バリパレード」として始まり、震災翌年の2012年、「みなとまつり」再開と共に現在の形になった。在気仙沼のインドネシア人にとって、年に1度の大きな楽しみだ。同時に地元の人たちも、インドネシアから来た在住者と触れ合う機会となっている。

   パレードの運営は、気仙沼商工会議所青年部が担う。青年部の会員は地元企業の若手リーダーたちだ。ヘルシスワントさんが今年3月まで勤めていた菅原工業専務・菅原渉さん(44)は会長として、積極的にかかわっている。

   建設・土木・舗装工事などを手掛ける菅原工業では、インドネシアからの技能実習生を2015年以降毎年3人ずつ受け入れている。震災後、復興工事の需要が増大して人手不足が顕著だったことがきっかけだった。「気仙沼は、水産加工業や漁業でインドネシアからの技能実習生が多い。インドネシアから呼べば、友人をつくりやすく生活に溶け込めるだろう」と募集を始めた。

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