新元号「令和」の典拠となったのが、万葉集の「梅花の歌三十二首の序文」(菅義偉官房長官)だったことをうけ、「令和の聖地」として福岡県太宰府市にある太宰府天満宮に注目が集まっている。
序文が、8世紀前半に「大宰府」(現在の太宰府市内)で開かれた「梅花の宴」の時に詠まれた歌32首につけられたもので、また太宰府天満宮が、「天神様」として親しまれている菅原道真公(845~903年)と「飛梅」伝説で知られる梅の名所だからだ。
「めちゃ混みしそう」「ますます人気でるね」
2019年4月1日昼、菅義偉官房長官が新元号は「令和」に決まったと発表すると、ツイッターには新元号関係の様々な反応が寄せられた。
典拠に関する情報に関しては、インターネットで検索すると、この序文が「天平2年(730年)正月」に、当時の大宰府政庁の長官(大宰帥)だった大伴旅人の邸宅で開かれた梅花の宴の際に詠まれた歌32首につけられたものだと解説する情報がいくつも見つかる。また、太宰府市の地元関係者の中にも典拠との関係がすぐにピンと来た人が多かったようで、ツイッターには、
「令和の聖地として福岡の太宰府天満宮がめちゃ混みしそう」
「元ネタの(略)地は太宰府らしいから太宰府天満宮ますます人気でるね」
といった指摘が相次いだ。
実際、大宰府政庁跡の史跡そばにある「大宰府展示館」(公益財団法人 古都大宰府保存協会運営)には、大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」の様子を博多人形を使って再現した模型が展示されており、公式サイトでも紹介されている。
さらに、「学問・至誠・厄除けの神様」を祀っているとして親しまれている太宰府天満宮は、「えん罪によって大宰府に突然左遷」(同天満宮サイトより)され、当地で亡くなった菅原道真公の墓所の上に社殿を造営して、「その御神霊を永久にお祀り」している神社で、全国で約1万2000社ある「天神様」を祀る神社の「総本宮と称えられている」。延喜19年(919年)に勅命により立派な社殿が建立されたという。
約200種・6000本の梅が咲き誇る
今回の新元号決定について、J-CASTニュースが1日、太宰府天満宮に受け止め方を聞くと、
「(典拠の)序文が大宰府(現在の太宰府市)と関係が深く、また、道真公も梅をこよなく愛されたというゆかりの深さに驚き、感動・感激しております」
「道真公が天皇家に誠心(まことごころ)を捧げられた、ということからも喜ばしいです。多くの人に大宰府(太宰府)の歴史と文化を体感して頂きたいと思っております」
とのことだった。
梅の名所としても名高い太宰府天満宮は、道真公を慕って都から一夜で飛来したと伝えられる「飛梅」をご神木として今も大切にしており、現在約200種・6000本の梅が植えられている。主な梅の見頃は「2月半ばから3月上旬」だが、4月に入ってからも楽しめる遅咲きの種類もある。最近では、年間約1000万人の参拝(観光)客が訪れているが、「令和の聖地」(ツイッター投稿より)として認知が広がれば、ますます多くの人が訪れることになりそうだ。