宮城県石巻市の中心部に建つ中華料理店「雲雀」(ひばり)は、中国遼寧省・大連出身の夫婦が営む。ギョーザや広東風焼きそばをはじめ、地元客に好評のメニューが並ぶ。
1998年から石巻に住む韓輝さん(52)・培霞さん(44)夫妻は2011年3月11日、東日本大震災に遭遇する。多くの外国人が日本を離れ母国に戻ったが、2人の頭に「中国に避難しよう」との考えはまるで浮かばなかった。
空腹の被災者に無料でふるまった「油淋鶏」
「あら、いらっしゃい」
午後の休憩時間中、ひとりの常連客が店内に入ってきた。「2000円分、持ち帰りたいんだけど」と話すと、夫の輝さんはサッと厨房に向かった。妻の培霞さんは夫に「じゃあ、ギョーザ2人前に...」と客に代わって素早く注文を出した。
韓さん夫妻は大連で知り合い、1997年に結婚。それ以前、日本のホテルで料理人として勤務経験があった輝さんは、石巻の飲食店運営会社に招かれて翌98年、妊娠中だった培霞さんを残して単身再来日する。その後培霞さんも無事出産し、「家族で一緒に暮らしたい」と初めて日本の地を踏んだ。「最初は言葉が分からず、大変でした」と言うが、持ち前の明るさと行動力で、日本の大学で学び、卒業後は携帯電話ショップに勤めた。輝さんもコックとして、順調にキャリアを積んでいった。
東日本大震災が起きた日、業務中だった培霞さんは娘を小学校に迎えに行き、帰宅。輝さんも職場から自宅に戻った。家族は全員無事、住まいは高台にあり津波は免れたが、大勢の人がぞろぞろと避難してくるのを見て「いったい何が起きているのか」と、あ然とした。
石巻の被害は甚大だった。街中あちこちが浸水し、沿岸部は壊滅状態となった。これからの仕事は、暮らしは、どうなるのか――。培霞さんは不安に襲われた。それでも夫妻は、困った人たちの支援に回る。輝さんは職場に行き、厨房の冷蔵庫の中にあった使える食材を確認すると、無事だったプロパンガスを用いて「油淋鶏」などを調理し、空腹の被災者に無料でふるまった。培霞さんは、自宅にあった薬を近所の人に提供するなど、可能な限り手助けした。
震災では原発事故の影響で、在日外国人に対して母国が帰国を促すケースがあった。韓さん夫妻は、中国に戻ろうと思わなかったのか。
「全然。大連に帰ろうなんて、考えもしませんでした」
2人は口をそろえた。理屈ではない。ただ、石巻に残ることが自然だった。母国にいる親も、その考えを後押しした。
「電話で『今帰ってきてはダメだ』と言われたのです。『大変な状況にある石巻の人たちを見捨ててはいけない』と」