元横綱・双羽黒の北尾光司さんに死去報道 ネットでは「若すぎる」「稀代のヒールキャラ」と悼む声

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   元横綱・双羽黒の北尾光司さんが55歳の若さで亡くなっていたと、フジテレビなど複数のメディアが報じた。

   北尾さんは、部屋を脱走して廃業し、その後プロレスラーに転じるなど波乱の人生だった。ネット上では、「びっくりした」「若すぎるよ‥」などと悼む声が上がっている。

  • 波乱の土俵人生だった(写真はイメージ)
    波乱の土俵人生だった(写真はイメージ)
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「腎臓を患い、闘病生活を送っていた」との情報

   北尾さんの死去は、フジテレビが2019年3月29日夕、ウェブ版のニュース「FNN PRIME」でも流し、ツイッターなどで話題になった。その後、日刊スポーツ、スポーツ報知、朝日新聞なども、続いて報じた。

   フジテレビの報道によると、北尾さんは、腎臓を患い、闘病生活を送っていたが、2月10日朝、慢性腎不全のため、亡くなったという。葬儀、告別式はすでに執り行われたとしている。

   北尾さんは、中学卒業と同時に立浪部屋に入門し、79年に15歳で初土俵を経験した。身長2メートル近い体格を生かした豪快な相撲で頭角を現し、86年には、22歳で横綱になった。優勝経験がないという異例の昇進だった。

   しかし、翌87年に突然、親方と意見が衝突して部屋を脱走し、親方が日本相撲協会へ廃業届を提出した。その後は、スポーツ冒険家を名乗って活動。90年には、プロレスラーに転身したが、トラブルが多くて長続きしなかった。また03年には、立浪部屋を再び訪れて、アドバイザーを務めたとの報道も出ていた。

   それ以来、表立った活動はほとんどなかったが、突然訃報が届いた。

「記者からうわさを聞き、ウソだと思っていた」

   立浪部屋のある力士は19年3月29日夕、J-CASTニュースの取材に対し、「何も情報が入っていないです」と話した。ただ、1か月ほど前に、記者から亡くなったといううわさを聞き、「ウソだと思っていた」といい、今回の報道に驚いていた。

   北尾光司さんが一時所属した新日本プロレスでは、「1990年代に数回試合に出てもらっただけで、その後は交流がなくて分からないです」と戸惑った様子で話した。

   北尾さんの出身の津市では、スポーツ振興課の担当者が「何も情報は入っていません」と取材に答えた。「市内の中学校を卒業したのは事実ですが、相撲協会に入っておられない方ですので、これまでに関わり合いはないです」という。

   ネット上では、北尾さんについての思い入れが次々に書き込まれ、「本当に才能だけはピカイチでした」「稀代のヒールキャラだった」「協会や親方がじっくり時間をかけ育てていたら、良い横綱になっていたかも」といった声が出ている。

(J-CASTニュース編集部 野口博之)

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