2019年3月19日、1年ぶりに訪ねた福島県富岡町は4月6、7日に開かれる「桜まつり」の準備に追われていた。5日から(14日まで)は、夜ノ森地区の桜のトンネルがライトアップされる。
富岡町・産業振興課の猪狩力(いがり・ちから)課長は、「昨年はお祭りのときには、もう桜の花が散っちゃってたんですよ。だから今年は開催日を1週間早めました。きっと見ごろになると思います」。そう期待する。
「桜を見に帰ってきてくれる。それだけでいい」
桜まつりは富岡町の一大イベント。町に活気を取り戻そうと、2017年、震災後7年ぶりに復活した。
夜ノ森地区は桜の名所で、約420本から成る2.2キロメートルの桜並木がトンネルをつくる。ただ、その一部はいまだに立ち入りが制限されている、帰還困難区域の中にある。今年は町が、その桜並木を走るバスを運行する。桜まつり初日に合わせた企画で、9年ぶりに区域内1.5キロメートルの区間を観桜できる。
猪狩さんは、桜まつりが、町から避難を余儀なくされている町民たちが再会する場になってほしいと望んでいる。
ある女性(78)は、「毎年来ていました。桜まつりで、春が来たことを実感できるんです。お友達と会って、話をするのが楽しみ。元気の源です」と、楽しみにしている。
呼びものの「よさこい踊り」には、かつては町から5チームが参加。地方からの参加チームとともに、3か所の会場で躍動感あふれるパフォーマンスを披露していた。それが、今は1チームを組織するのがやっとだそうだ。
「少しでも多くの町民に戻ってきてほしいですし、桜まつりが避難されている町民の方々が戻ってくるきっかけになったり、戻られた方と楽しくすごせたりする時間になればいいと思います」と、猪狩さんはいう。
家族4人、バラバラの生活
東京電力・福島第一原子力発電所の南で、福島第二原発がある富岡町は、原発事故で全町民が避難を命じられた。2017年4月に、町北東部の帰還困難区域(町面積の15%を占める)を除いて避難が解除され、住民票のある1万2972人の7割が居住可能になった。しかし、3月1日時点で町に帰還しているのは877人にとどまる。
復興庁と富岡町が、帰還した人に「戻ることを決めた理由」を聞いたところ、「気持ちが安らぐこと」と答えた人は57.6%もいた。 震災後、2017年に帰還するまで郡山市で暮らした猪狩さんも、「町に戻った時はホッとしました」という。ただ帰還したとはいえ、猪狩さんの家族4人は、現在もそれぞれが離れ離れで暮らしているそうだ。
町に「戻らない」選択をした人は、町外での暮らしが長くなり、生活基盤ができ上がってしまったことを理由にするケースが多い。ただ、「町としては、さまざまなアプローチは続けていきたいと思っています。桜まつりも、その一つです」と、猪狩さんは言う。
一方、「戻れない」理由は、医療や介護、ふだんの買い物にも不便を感じることにある。生活していくための仕事もまだ少ない。また、戻ってきたいと希望する人の多くが高齢者であることもある。
家庭的な料理を、お腹いっぱい食べる
富岡町役場から、クルマで5分も走っただろうか。富岡町総合スポーツセンターへと続く上り坂の途中に、「y」の看板が目に飛び込んできた。2019年1月に新装オープン した「Cafe Y」。切り盛りするのは、渡辺愛子さん(53)。楢葉町出身の三瓶芙歩花さん(25)がウェイトレスを務める。帰還した住民や、廃炉や復興事業にかかわる作業員らにとって憩いの場所になっている。
いわき市で飲食店を営んでいた渡辺さんは、富岡町でご主人と床屋を営んでいた女性の、「町に戻りたい。女性がゆっくり食事したり集まったりできる場所がほしい」という言葉に突き動かされた。「私も50過ぎたら繁華街には居たくなかったので。とりあえずやってみようかなって。いわきのお店を閉めて(富岡町で)2017年に開業しました」と話す。
「ここも駐車場が砂利になっているのは、除染したからなんです。10センチ以上ですか、掘削して砂利とか山砂を入れたようです」
そんな話をするものだから、てっきり線量のことを気にしているものだと思ったが、「いやいや線量より日常生活ですよ」という。買い物はクルマを使わなくてはならず、美容室も床屋さんも毎日空いているわけではない。高齢者には医療施設が、子育て世代は子供の遊び場所が気になるだろう。「日常」はまだ道半ばのようだ。
しかし、少しずつ前へ進んでいると感じている。4月、町内に「ホテル蓬人館 富岡」がオープンする。 「これまでは作業員さんのための宿舎しかなかったんですが、今度やっと、法事ができたり、私たちがビジターでお風呂入ったりできる場所が開業するんです。人として生きていくには、癒しが必要だと思うので」(渡辺さん)。これも、日常を取り戻す一歩なのだ。
原発はこれから、廃炉への道を本格的に歩き出す。8年前に事故処理の拠点となった富岡町の未来を、渡辺さんはこう想像する。
「もともと富岡町は原発に携わる人たちが集まる町でした。これからは、研究所というか大学みたいな、技術開発の施設が集積して、筑波学園都市(茨城県)のようになって、学者や技術者がいっぱい集まってくる。古くからの町民の方には申し訳ないかもしれないけれど、そういう方たちが同じ心で復興を進めてくれるんじゃないかなって思っています」
福島第一原発の事故の事実と廃炉作業の現状を伝える
「原発に携わる人たちが集まる町」と渡辺さんが表現した富岡町。そこに2018年11月30日、「東京電力廃炉資料館」がオープンした。福島第一原発の事故の事実と廃炉作業の現状を広く知ってもらおうという趣旨だ。同館の嶋津康館長が案内した。
館内は1階と2階に分かれている。最初に、大型スクリーンが設置された2階の「シアターホール」へ案内された。事故当時の様子を8分ほどの再現映像で振り返る。津波による全電源喪失、その後に起こる原子炉内の核燃料メルトダウン。訓練では想定していなかった事態が次々と発生したとの説明で、東電では「安全に対するおごりと過信があった」と自己分析している。
各コーナーでは、事故発生から対応の様子を、AR(拡張現実)を使って時系列で紹介したり、大型パネルに事故の経緯を詳細に記載したり、モニターを通して「なぜ安全は万全でなかったのか」を説明したりと工夫がみられる。
1階の展示物では「廃炉現場の姿」がテーマ。福島第一原発構内の規模を来館者に感じてもらうため大きな3面のLEDパネルで表現、また「汚染水」対策の解説用に構内のジオラマを制作して、「取り除く」「漏らさない」「近づけない」という対策3か条を徹底している様子を、プロジェクションマッピングを活用して説明する。たとえば山側から海側に流れる地下水の様子が映像としてジオラマ上に表示され、その対策に使われる各設備が点滅する仕組みだ。原子炉内を調査するロボットの展示もある。
来館者は、開館から3か月あまりの3月5日に1万人に達した。海外からも約150人が訪れている。展示物にはすべて英語の表記やナレーションを付けており、同館の嶋津館長は、「地元の人に加えて国内外の人にも、広く事故の記録、廃炉の事実を伝えたい」「原発事故は決して天災として片づけてはいけない、人知を尽くした事前の備えが必要だったと今、強く思っております」と話す。東電は、事故の根本原因に(1)過酷事故対策の不備(2)津波対策の不備(3)事故対策の準備不足、を挙げ、原因の背後に(1)安全意識の不足(2)技術力の不足(3)対話力の不足、があったととらえている。
廃炉資料館は、事故の事実と廃炉の進ちょくを多くの人に伝えるとともに、二度とこのような事故を起こさないための反省と教訓を社内外に伝承し、安全につなげていくことが使命。一方で地元の学校の教員に意見を求め、次世代に向けてどう伝えていくか検討している。
富岡町に避難先から町に戻ってきた住民は、現段階では少ない。廃炉資料館では、福島県が2020年、双葉町に開館を予定している「東日本大震災・原子力災害アーカイブ拠点施設」と連携して、学びや研究といった場となって交流を促進していきたい考えもあるようだ。原発事故や廃炉の現状を学ぼうと、こうした施設への訪問者が増えれば、富岡町に活気をもたらすひとつのきっかけになる可能性はある。