家族4人、バラバラの生活
東京電力・福島第一原子力発電所の南で、福島第二原発がある富岡町は、原発事故で全町民が避難を命じられた。2017年4月に、町北東部の帰還困難区域(町面積の15%を占める)を除いて避難が解除され、住民票のある1万2972人の7割が居住可能になった。しかし、3月1日時点で町に帰還しているのは877人にとどまる。
復興庁と富岡町が、帰還した人に「戻ることを決めた理由」を聞いたところ、「気持ちが安らぐこと」と答えた人は57.6%もいた。 震災後、2017年に帰還するまで郡山市で暮らした猪狩さんも、「町に戻った時はホッとしました」という。ただ帰還したとはいえ、猪狩さんの家族4人は、現在もそれぞれが離れ離れで暮らしているそうだ。
町に「戻らない」選択をした人は、町外での暮らしが長くなり、生活基盤ができ上がってしまったことを理由にするケースが多い。ただ、「町としては、さまざまなアプローチは続けていきたいと思っています。桜まつりも、その一つです」と、猪狩さんは言う。
一方、「戻れない」理由は、医療や介護、ふだんの買い物にも不便を感じることにある。生活していくための仕事もまだ少ない。また、戻ってきたいと希望する人の多くが高齢者であることもある。