俳優だけじゃない、「ボーカリスト」ショーケンを知ってくれ 遺作シングルで見せた「原点回帰」

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「唯一無二」のスタイルを確立

   萩原さんのソロシンガー活動は75年「惚れた」からスタートした。このアルバムから「Nadja 男と女」まではロックシンガーとしての鳴りを潜め、色気ある落ち着いたスタイルの楽曲が多かった。転機となったのは79年「Nadja3 エンジェル・ゲイト」だ。BOROさんとの競作「大阪で生まれた女」、柳ジョージさん(故人)の「本牧綺談」が収録され、ロックシンガーとしてのショーケンが戻ってきた。それは柳ジョージ&レイニーウッドが参加したライブ盤「熱狂雷舞」でより鮮明なものになっていった。

   決定的になったのは80年発表のアルバム「DONJUAN」。ジャケット裏に表記された「DONJUAN SUPER SESSION(後のDONJUAN ROCK'N ROLL BAND)」と共に作り上げ、ボーカルスタイルはエキセントリックでオンリーワンのスタイルへと変貌。レゲエ調の「お元気ですか」や名曲「ローリング・オン・ザ・ロード」で魅せた男臭く慈愛に満ち溢れた世界観は82年のアルバム「D'ERLANGER」でさらなる高みに到達。男が惚れる男・ショーケンをボーカリストとしても体現した。

   インドでのスタジアム・コンサートと武道館ライブを記録したライブ盤「SHANTI SHANTI LIVE」を発表するなど音楽活動も充実していたが、83年に大麻不法所持、84年には飲酒運転で人身事故と不祥事が相次いだ。

   84年にアルバム「Thank You My Dear Friends」では活動休止中の母親との別れなど心境を歌詞に反映。さらに85年、井上堯之さんらと組んだバンド「アンドレ・マルロー・バンド」とのコンサートでは、

「何があったんですか? え~大麻と交通事故と離婚です」

と「九月朝。母を想い」の歌詞を変えて披露。自身の身の上すら歌で吹き飛ばした。

   アンドレ・マルロー・バンドでのアルバムも2枚発表、90年代に突入しても渋谷・Bunkamuraシアターコクーンで半月にわたって「ロックコンサート -R-」を開催。TUBEの春畑道哉さんから楽曲提供を受けたシングル「泣けるわけがないだろう」を発表するも80年代に比べると活動ペースは減速していた。

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