自然災害の被災地へボランティアに訪れた人は少なくないかもしれない。だが「100回」となると、どうだろうか。
東京都豊島区にあるモスク「マスジド大塚」。ここに集うイスラム教徒(ムスリム)は東日本大震災発生の翌日、支援物資を車に積み込んで東北に向かった。
「なぜ来たの?」いぶかった被災者たちがやがて...
「きょうお祈りに来ていたのはイタリア、バングラデシュ、パキスタン、チュニジア、ガーナ、インドネシア、マレーシア、そして日本の人たちです」
夕方の礼拝を終えて、シディキ・アキールさん(74)が顔を見せた。東京五輪の前年の1963年にパキスタンから留学生として来日、現在は宗教法人「日本イスラーム文化センター」会長を務める。なお同センターは、マスジド大塚の正式名だ。
2011年3月11日、東日本大震災が発生するとトルコの団体から支援の申し出の連絡が入った。シディキさんと同センター事務局長のクレイシ・ハールーンさん(52)は事態の深刻さを理解すると、ムスリムの人たちと共に支援物資を調達、翌3月12日には仲間の一部が車で東北に出発し、仙台でおにぎりや飲料水を届けた。数日後にはシディキさんとクレイシさんも被災地へ向かう。宮城県南三陸町や気仙沼市でも炊き出しを行い、生活に必要な日用品を届けた。初めのうちは、東京と現地を連日往復する日が続いた。
3月末からは、福島県いわき市での支援活動を開始。原発事故の影響で避難してきた被災者が大勢避難所に身を寄せていた。ところが、いわき市では食料や日用品が不足し、輸送車の数も少なかった。同市は北部の一部を除いて東京電力福島第一原発から30キロ以上離れている。さらに政府は2011年4月22日、原発から20キロ圏外で緊急時に屋内退避や避難が求められる「緊急時避難準備区域」からいわき市を除外していた。それでも、根拠なく放射能を恐れて現地に行きたがらないドライバーは多く、物資の輸送に支障が出ていた。以降、シディキさんとクレイシさんは、いわきを重点的にサポートしようと決めた。
当初、避難所では「なぜ来たの?」と不思議そうに迎えられたという。同じムスリムの被災者を助けに来たのか、ともみられた。だが活動を継続するうちに、「純粋に助けに来てくれたのか」と歓迎されるようになっていった。
初めは東京で食べ物を用意して車で現地に運び配ったが、4月になって暖かくなると衛生面を重視して現地で調理するようにした。